あんスタ

腐れ縁でも縁は縁

 引っ越しの段ボールも残り僅かになった。最初の数日は千秋や薫に手伝ってもらっていたが、いつまでも引き留めるわけにもいかない。一人で黙々と荷ほどきと整理を片付け、ようやく人並みの生活が送れる手筈が整った、五月半ば。日付が変わってすぐのことだ。…

REPLAY:ワンシーン

「あさがお」「ん?」「あさがお。うまくそだたなかったんです。むかし」 アイスを齧るのをやめ、奏汰はぼんやりと遠くを見る。防波堤に腰掛ければ、視界に広がるのは海ばかりだ。余計なものは何一つない。潮風に牛乳アイスの甘い匂いが混じる。薫は髪を耳に…

袖擦り合うのも他生の縁

「もしもさぁ」 奏汰の背中へ薫は呼び掛ける。青暗い館内は水槽の照明のおかげでほの明るく、まるでクラゲ自身が発光しているかのようだ。奏汰は水槽のガラスに片手をついたまま、ソファーベンチに座る薫へ振り向く。「もしも?」「……もしも、俺たちが、も…

3月31日を忘れるな

 n度目のループ。4月2日の朝。『3月31日を忘れるな』『この紙は捨てるな』というメモが机に置いてあった。明らかに自分の字だが書いた記憶はない。変なの、と思いつつ引き出しの奥へ投げた。 メモのことなんてすっかり忘れていたが、どうもあちらこち…

臆病者の偽楽園

「レオハウス作ったから、来て」 唐突にあいつから電話がかかってきた。いや、あいつからの電話が唐突でなかったことなどないし、それにこれまでの経緯や置かれている状況を鑑みればさほど不思議でもない。 着くやいなや、レオは顔面に本を広げて突き出して…

地獄道中─夢中夢

 オブラートが嫌いだった。 それは、粉薬を包み込むオブラートとしても、婉曲的に語るときのオブラートとしても。もっと素直に言ったらどうだ、はっきりしない曖昧な言い回しが苦手で、苦笑いを浮かべる相手から無理やりに聞き出したこともある。 薬を飲み…

たった一言でいいから。

 引き戸がガタガタ揺らされている。隙間からは下手くそな口笛のような音が勢いよく漏れていた。今夜は大雪になるらしい。雪の礫混じりの強風は、築ウン十年のこの家を丸ごと薙ぎ倒してしまうんじゃないかとすら脳裏によぎった。(ま、お師さんン家やし、そん…

nowhere

「エレベーター? ヤです。あれ、『ふわっ』ってなるじゃないですか。ただでさえ、こんなにふわふわしてるのにもっとふわふわしたものに乗るなんて、司がどこか飛んでちゃってもいいんですかぁ。せなせんぱぁい」「ああ、もうっ……。この、クソガキっ」 ア…

カーテンの内側で約束した

 クリーム色のカーテンが風のかたちを柔らかく捉えている。このダンスルームはいま無人のはずで、なのにカーテンの下から人間の足が生えていた。薫はほとんど"ガワ”だけの薄っぺらな鞄を肩にかけ直し、窓辺に近寄る。 カーテンの裾をめくり、何見てるの、…