旅は道連れ世は情け(予告版)

 旅は道連れ世は情け
 花に嵐の喩えもあるさ
 さよならだけが人生だ
 最初で最後のデートをしよう
 あの日の続き
 漂流する今
 未来に未練を残さないため
 埋めた死体を数えよう
 誕生日にはお祝いしよう

 そして
 ぼくらは旅に出た

 

***

 

 その日は一日中妙な天気で、昼間、車で移動しながら薫は虹を二度も見かけた。そのときは物珍しさや縁起の良さのようなものを感じたが、いま思い返してみれば吉兆というよりは不吉なことの前触れだったのかもしれない。

 八月の終わり。昼間鳴いていた蝉も、もうじき死骸になって道路へ転がる時期が来る。ぬるい小雨が降る夜だった。スマホのバイブレーションにうなされ、薫は鬱陶しそうに電話を取る。

『もしもし、かおる?』

「……奏汰くん?」

 意識は聞き覚えのある声色に叩き起こされた。通話中の画面には『奏汰くん』と表示されていて、懐かしい字面になぜか心臓がぎくりとした。

「え、なに、どうしたの。久しぶり〜……ってかんじじゃないよね?」

『ごめんなさい、こんな「よなか」に。ええっと……」

「……奏汰くん?」

 スマホを耳に当てたまま、薫は起き上がりベッドへ座った。時計を見るとちょうど零時を回ったところだった。デジタル時計は八月三十一日を表示している。その数字になにか引っ掛かりを覚えたが、なんの数字だったのかを考えている余裕はない。電話口の奏汰の声は青白く、昔聴いていたそれと比べて一切の覇気が失われていた。

『……やっぱり、なんでもないです。それじゃあ」

「ちょっとちょっと! 待ってよ、急に切らないでよ。なに、どうしたのこんな深夜に。電話なんかかけてきちゃってさ……なにかあったんでしょ」

『…………かおる』

「切らないで。いまどこ? 車出すよ、迎えに行くからそこにいて」

 電話口の奏汰は絞り出すように現在地を伝える。ここから車で三十分ほどの、海が近い公園だ。夢ノ咲学院からもそう遠くない。薫は財布や鍵といった最低限のものを引っ掴んで玄関を開けた。

(……ああそうか。雨)

 外はまだ小雨が降り続いていた。傘を差さなくても平気そうだが、ここから雨足が強まることもあるかもしれない。薫は玄関脇の傘立てからビニール傘を二本抜き取った。

「……奏汰くん。いまでも、水浴びは好き?」

 マンションから駐車場へ降りていく道すがら、電話口の奏汰へ問いかけた。もし奏汰があのころのまま、高校生のころと同じなら傘は不要だったかもしれない。正直、傘を二本抱えて階段を降りるのが少し厄介だったのだ。

『いいえ、いまは、あんまり……』

「そう、それならよかった」

『あの、かおる』

「なに?」

 車のキーを開け、トランクへ傘を二本とも放り込む。ばたん、と蓋を下ろした直後、電話口の奏汰はまるで痛みに耐えるかのように薫へ打ち明けた。

『「したい」があるんです。ぼくだけじゃ、うめれません。てつだって、くれますか……?』

 

***

 

 黄色く色づいた銀杏が眼下を覆っている。薫はベランダで煙草を吸いながら、この家の前を通る銀杏並木を眺めていた。一週間ほど前から一気に紅葉が進み、黄色いフリルのように景色を飾っている。

「かおる〜、ただいまです〜」
「ああ、おかえり」

薫は煙草を灰皿に押し付けて火を消し、煙を吐き切ってからリビングへ戻った。机の上には奏汰が置いたスーパーのレジ袋が並んでいて、なんとなくその中身を覗いた。相変わらず鮮魚ばかりで、食の好みがぶれていないことに少しばかり安堵する。

「きょうはいいてんきでした。ぽかぽか、『ようき』……♪ 『いちょう』も、とってもきれいです。かえりに、かおるがべらんだにいるところをみましたよ〜。かおるのかみとおんなじ、『きいろ』ですね」

脱いだコートをハンガーにかけ終わった奏汰は、買ってきた魚をさっそく取り出して仕込みにかかった。魚捌きは昔から得意なようだったが、ここ最近はさらに腕に磨きがかかってきている。ご機嫌に鼻唄を口ずさみながら奏汰は台所に立った。

「あの銀杏、来年も見たい? 奏汰くんがいいならまた見に来ようよ」

「う〜ん……。みたいのは、やまやまですけどね」

薫は奏汰の手元を覗き込む。ごとり、と骨が切れる音がして、魚の頭が落ちた。まな板へほんのわずかに赤が滲む。

「ことしの『いちょう』は、ことしだけですから。……だから、また『でえと』してください、かおる」

今年が終わらないうちに。と奏汰は呟き、手際よく魚へ刃を入れて内蔵を取り出していく。まな板に置きっぱなしにされた頭に、じっと見つめられている気がした。

 

***

 

 今夜も死体を埋めに行く。

 助手席に座る奏汰は目を伏せて口を閉ざしたままだ。この前もそうだった。行為自体には慣れたが、それに伴って舐めあった傷の味が負担になっているのだろう。互いの傷をさらけ出し、再分配する。等しく、同じぶんだけ抱えられるように。

「……あのさ」

 信号が赤に変わり、薫はブレーキをゆるく踏んだ。ワイパーが息継ぎのようなリズムで動いている。何回めかの息継ぎのあと、薫はハンドルに手をかけたままぼんやりと奏汰の横顔を眺めた。視線に気づいたのか、奏汰は結露した窓へと顔を逸らす。

「……車、寒くない? 温度上げようか?」

「いいです。このおんどで。ちょうどいいので」

「そっか」

 青信号になるまでの沈黙がずいぶん長く感じられた。発進し、車は明かりのついたビル郡を抜け、夜の海へと向かう。死体はいつも海辺に漂着しているのだ。

「……奏汰くん。きみは、本当に人を殺したの?」

「ころしてませんよ。だれも。かおるだって、そうでしょう?」

「俺は……殺したんだと思うよ。一緒だよ、奏汰くんと」

 通りすぎる街灯の数が減っていく。その代わりに星空が見えたらいいのだが、と薫は内心ひとりごちた。高校の頃、奏汰と天体観測をしに行った日を思い出す。家になんか帰らずに制服のまま夜を過ごしたあの冬。流星群を数え明かして、生も死も超越した二人だけの時間だった。

「……こんやも、『したい』をうめるの、てつだってくださいね」

「わかってるって」

 死体を二人で一緒に埋めたのはあの冬のあの夜が始めてだった。今夜は何体めの死体になるのだろう。あの流星群で降った星の数よりも、きっと多い。

 

***

 

 ──珍しくもなんともないですよ、かみさまが殺されるのなんて。
 ずうっと昔から、かみさまは世界のあちこちで殺されてきました。
 かみさまは死にません。殺されるだけです。
 殺されて、ようやく終わる。
 終わらせたければ殺すしかない。ぼくは終わらせたいんです。
 かみさまを。
 こどもを。
 青春を。
 ぼくを。
 だから何度も殺すんです。何度も何度も。
 あの夏、あの八月の終わり、蝉は鳴いていましたか?
 かおるなら覚えてるでしょう?
 ねえ、ぼくの言ってること、わかりますか。……かおる?