クリーム色のカーテンが風のかたちを柔らかく捉えている。このダンスルームはいま無人のはずで、なのにカーテンの下から人間の足が生えていた。薫はほとんど”ガワ”だけの薄っぺらな鞄を肩にかけ直し、窓辺に近寄る。
カーテンの裾をめくり、何見てるの、と話しかけた。
「なにもみてませんよ。ただ、ぼうっとしてただけです」
「ああ、そう」
開け放たれた窓はヒンヤリした空気に晒され、部屋そのものの熱や、体温を徐々に下げていく。薫は肩から鞄を下ろし、足元に置いた。
「奏汰くんはさ、寒いの好き?」
窓から見える景色は代わり映えのない、いつもどおりの校庭。春、グラウンドをぐるりと囲むように植えられた桜の木は満開だった。夏は青々と葉が茂り、いつのまにか意識から消え、今はすっかり寒々しい枝ぶりになっている。
ひゅう、ひゅう、と木枯らしが吹く。
「うーん、きらいではないですね」
「じゃあ冬は好き?」
「『みずあび』するとちあきにおこられますけど……それいがいは、すきです」
珍しく校庭には誰もいなかった。陸上部の活動日ではないし、他の運動部がなにかしている様子も見受けられない。何見てたの、と再び尋ねるのも無駄だろう。何も見ていない、と奏汰くんが言ったのだから、何も見ていないのだ。
「今度さ、天体観測行かない?」
近いうちに流星群があるらしくて、見に行こうよ。二人で。
薫の申し出に、奏汰は”きょとん”とした面持ちになっていたが、すぐに合点がいったようで悪戯っぽく笑った。
「ふふふ。『でーと』のおさそいですか?」
「……そう。そういうことに、なるね。ダメかな?」
「いいえ〜。いいですよ、いきましょう。くす、くす……♪」
冷えた風が吹いて、カーテンが大きく持ち上がる。分厚い布の丸いはためきにつられ、薫はカーテンを目で追いながらなんとはなしに振り返った。すると、ちょうどダンスルームの前を歩いていた人物と目が合う。
「あれ、守沢くんじゃん」
「羽風じゃないか。どうしたどうした? これからここで俺と奏汰で練習するつもりなんだ」
ああ、だから奏汰くんがいたの。
奏汰は相方の登場を待ちわびていたのか、ぱぁっと顔を綻ばせた。直後、ぷうっと頬を膨らませて不満気に愚痴を言う。
「もう。おそいですよ、ちあき。まちくたびれちゃいました」
「すまん! 蓮巳が、いやホームルームが長引いてしまってな」
ふくらんだカーテンの輪から奏汰が出て行き、薫だけが窓辺に残された。ぶわぶわと大げさに動くカーテンの内側から、千秋と奏汰がノート片手に打ち合わせしているのがチラチラ見える。不満気だった奏汰の表情はすぐ綻んだ笑顔に戻ったり、優しく穏やかに話しかけたり、ふいに真面目になったりする。どれも薫といるときには見せない顔だった。
(……なんか、間抜けだな)
「ゴメンゴメン、邪魔して。……俺、帰るね」
「ん? あ、ああ。羽風、また明日な」
千秋はノートから顔を上げ、ダンスルームを横切る薫にシャープペンシルを持ったまま手を振った。薫もそれに適当に手を振り返す。
「かおる」
後ろ手でドアを閉めようとした薫を、奏汰が呼び止めた。一度深呼吸をし、体裁を整えてから振り返る。
「なあに?」
「『やくそく』、わすれないでくださいね」
「……うん。そうだね。じゃあ、また明日」
ドアを閉め、しばらく歩いてから立ち止まり、リノリウムの床を見つめた。なにかモヤモヤした塊が喉元まで出かかっている。吐き出したくてしょうがなかった。と、鞄を置き忘れていたことに気づく。
(まあ、いいか。どうせ中身ほとんどないし。また明日、取りに行けば)
はぁ、と息を吐いた。
また明日、会おうと思えば会えるのだから、なにも狼狽することなどないのだ。少なくとも、カーテンの内側でした約束が、それまでの期間を保証してくれる。