引っ越しの段ボールも残り僅かになった。最初の数日は千秋や薫に手伝ってもらっていたが、いつまでも引き留めるわけにもいかない。一人で黙々と荷ほどきと整理を片付け、ようやく人並みの生活が送れる手筈が整った、五月半ば。日付が変わってすぐのことだ。なんとなくぼんやり起きていて、突然鳴ったインターホンになんとなく応答した。
「げっ、『ごろつき』じゃないですか」
その来訪者はやや顔に赤みを帯びていて、ご機嫌そうにカメラ越しに手を振ってくる。奏汰のよく知る男であり腐れ縁の幼馴染、斑だ。
「よんでないんですけど」
『そう冷たいことを言わないでほしいなあ! ほら奏汰さんっ、梅酒だぞお〜☆』
斑はほろ酔い気分でレジ袋からアルコールの缶を取り出す。奏汰は心底嫌そうに眉に皺を寄せ、斑に聞こえるようわざと大袈裟なため息をついた。なにが面白いのか、画面の向こうで斑は笑っている。どうやら酔っているらしい。
酔っ払いは直接追い払うしかないだろうと、奏汰は玄関のドアを開けた。
「奏汰さあん!! 久しぶりだなあ! 元気にしてたかあ!」
「うるさいですよ。いまなんじだとおもってるんですか」
「ははは! 十二時ちょっとすぎかなあ? ともあれ奏汰さん、中に入れてほしい! 引っ越し祝いで色々持ってきたんだぞお!」
中へ押し入ろうとする斑を追い出そうと、奏汰はドアノブに手をかけた。が、ドアの隙間にがっちり差しこまれた足がそれを阻む。
「……ちっ」
「いま舌打ちしたなあ? 聞こえたぞお! 奏汰さん、一人暮らしするようになって言葉遣いが悪くなったんじゃないかあ? めっ! ですよ!!」
「あなたにくらべれば『まし』です」
しばらく攻防が続くが、酒に寄ってリミッターが僅かに外れた斑のパワーは尋常ではない。このうざったらしい幼馴染を中へ入れてたまるかと奏汰は奮闘したのだが、根負けしてしまいしぶしぶ斑を中へと入れた。その最中もずっと斑は笑っていて、ここへくるまでにどれほど飲んだのだろうと斑を眺める。
「お邪魔しまあす。ほほう、けっこう綺麗にしてるじゃあないか。いいお家だなあ」
「『ごろつき』、『さけくさい』です。いますぐかえってください」
「奏汰さんも飲むくせにい! ゲソにタコに鮭とば、あとスモークサーモンもあるんだぞお! なんてったって奏汰さんの引越し祝いだからなあ!」
斑はお構いなしにテーブルへ次々と物を並べていく。斑がよく飲む銘柄のビールの他、奏汰が好んでいる梅酒、おつまみ各種。斑から漂う酒臭さに奏汰がうんざりしているあっという間のうちに準備は整い、さあここへ座れと言わんばかりに斑はクッションを叩いた。
「ほうら奏汰さん、おいでおいで! 引っ越しおめでとうっ、やっと念願の一人暮らしだなあ! 俺は奏汰さんのおうちには出入り禁止になってるからなあ、接触できなくて結構つらかったんだぞお!」
「ぼくはべつにそんなことなかったですけどね〜。……『じゅうしょ』、ちあきからきいたんですか?」
「そんなところだなあ! まあ千秋さんを通さずとも知ろうと思えば知れるんだが! 薫さんは元気にしてるかあ?」
「かおるはげんきですよ。『おしごと』もかいふくしてきたみたいです」
それならよかった、と斑は赤ら顔で缶ビールを開けた。ぶしゅう、と炭酸と泡が噴き出て斑の手元を汚す。
「おっと、奏汰さん、ちょっと拭くものを貸してくれ」
「……『ごろつき』、きょうはずいぶん『からげんき』ですね? からまわってますよ、ずっと」
奏汰は斑の目の前へ布巾を投げ落として言った。噴き出た泡は缶の側面を伝い、床へ垂れていく。
「……あっはっは」
「あっはっは、じゃないでしょう」
「そうら奏汰さん、梅酒だぞお」
「おさけはいまはいいです」
「…………」
泡の垂れる缶を持ったまま斑は静止していて、見兼ねて奏汰は仕方なく代わりに床を拭いた。向かい合わせにしゃがみ、缶も併せて拭く。
ふと、斑の肩越しにダンボールへ立て掛けた時計が垣間見えた。壁に引っ掛けて使うタイプのものだがどこへ設置するかが決まらず、とりあえず出すだけ出そうと放置になっていたものだ。針は十二時を少し過ぎた時刻を指している。
「……あぁ、わかりました。『おたんじょうび』でしたね、きょうは」
「……正解っ!」
斑は嬉しそうに声を上げ、思わず奏汰に抱きつこうとする。が、そんなのはお見通しだと奏汰は軽々とそれを避けて布巾を台所へ戻しに行った。肩透かしをくらった斑はよろよろと床へ突っ伏し、わざとらしく嘆いてみせる。
「奏汰さあああん!! お祝いしてくれないのかあ!? 学生のときはお祝いしてくれただろう!?」
「あのときのあれは、ぼくは『しゅっせき』してませんし〜」
「でも! 企画は奏汰さんだって颯馬さんから聞いたぞお! 不意打ちで斬りかかられたのをいまでもはっきり覚えている!」
「うるさい。うるさいですよも〜」
足にすがりついてくる斑を振り払う。
七年前になるだろうか。高校三年生の斑の誕生日、奏汰は気まぐれで斑のサプライズパーティを企画した。といっても発起人はあのプロデューサーの彼女で、奏汰はあくまでプランの提案に協力した程度なのだが、どういうわけか奏汰が企画者だということになっていた。自分では全くそんなつもりはなかったのだが、結果的にこうして強請られる材料にされていてたまったもんじゃない。
乱暴に斑を足で振り払い、イライラが募ってきた奏汰はテーブルに置かれた梅酒に手を伸ばした。
「やっぱり飲むんじゃないかあ!」
「『かんちがい』しないでください。あなたと『ばんしゃく』するってわけじゃないですからね?」
奏汰は斑の正面へ座り直す。斑はアルコールのせいもあるのかずっとへらへらしていて、普段以上に様子がおかしかった。とはいえこうして対面するのは久しぶりなのだが、幼稚園以来の幼馴染の性根くらい嫌というほどよく知っている。
「……ぼくに『おいわい』してほしいんですか?」
「……そういうことになるなあ」
「なんでぼくなんですか? こんな『しんや』に。あなたなら、『たんじょうび』くらい『ひくてあまた』でしょうに」
「ははは。だってそんなの、間違い探しみたいだろう? 答え合わせの人生ほどつまらないものはないからなあ」
斑は缶ビールを煽り、中身を胃へ納めた。飲み干した缶を潰した手はそのまま二本目へ伸びる。
「まだのむんですか……」
「奏汰さん、薫さんとお誕生日会の約束をしてるらしいじゃないか。千秋さんともだ」
「……それがどうかしたんですか」
空き缶がテーブルへ雑に置かれ、軽い金属音が鳴った。斑のエメラルド色の瞳が揺らぐ。
「……いや。なんでもないぞお!」
「……うらやましいんですね?」
「──、まあ、そういうことだ……!」
ははは、と斑は眉尻を下げて笑った。負けを認め、もう降参だと白旗を上げている。
「『うそ』つくならもっとがんばってくださいよ」
「ごめんごめん! どうも酒が入ると雑になってしまうみたいでなあ?」
「……『ごろつき』、『さけくさい』です」
「奏汰さんも飲んでるんだから同罪だぞお」
「『ごろつき』がすすめたからですよ」
奏汰は手元の梅酒をちびちびと啜る。酒はたまにしか飲まないが、付き合ってあげるのも腐れ縁だから成せる技かもしれない。奏汰は飲み口に唇を当てたまま少し考えた。瞬間、斑とばちりと視線が交わる。
「……四半世紀も生きてしまったなあ」
いつもの威勢の良さや壮健ぶりはどこへやら、斑はすっかり肩を落としている。ある種、重荷が少し外れて軽くなったかにも思えた。斑の口角は上がりも下がりもせず、波のない水面のように静かだ。
「ぼくよりあなたのほうが、ずっと『じゅうしょう』ですよね〜」
「……もっと丁寧に扱ってほしいなあ。俺、誕生日なんだぞお。本日の主役だぞお」
「いやです。ほら、さみしいときにはなんていうんですか?」
奏汰はニヤニヤと頬杖を突いて斑を覗き込んだ。斑は何を迷っているのか視線を宙に泳がせ、テーブルを無意味に見渡している。ここまで追い込めばあとはもうこっちのものだ。奏汰は久しぶりの幼馴染の弱点に、奇妙な優越感を覚えていた。
「…………淋しい」
「よくできました〜」
テーブルに俯いた斑の頭を撫でる。わざと力を込めてわしゃわしゃと揉み、斑のトレードマークである三つ編みも解いてやった。迷惑そうに斑は口を尖らせるが、その顔が情けなくて奏汰の口元がますます緩んでいく。
「『おいわい』されるのは、いくつになってもうれしいものですよね。いいですよ、『おいわい』してあげます。『たんじょうび』、おめでとうございます。まだら」
「! 奏汰さん、いま」
「わかったらそれのんでかえってくださいね」
「奏汰さあん!」
髪をぼさぼさにして一喜一憂する斑など眼中にないかのように、奏汰はあくびをして微笑んだ。
「『じょうだん』ですよ。きがかわりました。つきあってあげましょう……♪」
奏汰は台所から二人分のグラスを持ってくる。食器の類の大部分は未だダンボールの中で、二人分の用意に間に合ったのはある意味ラッキーなのかもしれない。なぜか真顔のままでいる斑の前へグラスを置き、飲みかけのビールを奪って中へ注いだ。次いで、自分の梅酒もグラスへと移す。
「なにしてるんですか。『かんぱい』でしょう?」
「へっ? あ、ああ、そうだなあ! ちょっとボーっとしていたぞお!」
「……『おいわい』したのに、『へんじ』まだきいてないですよ? なんていうんですか、ほら」
二人はかんぱい、とグラスをかち合わせる。斑は照れ臭そうに頬を掻き、もじもじしながら呟いた。
「……ありがとう、奏汰さん」
「いいえ〜どういたしまして〜。『くされえん』ですからね……♪」
三毛縞斑バースデー記念/「旅は道連れ世は情け」の後日談的な立ち位置です
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