暁闇-01.明星に請う - 4/4

 気付くといつのまにか、二人は実習用のデュエル場に来ていた。中等部校舎にあるデュエル場で一番大きく、最新版のソリッドビジョンがインストールされたフィールドだ。いまは放課後なため会場はがらんとしていて、観客席にも誰ひとり座っていない。

 廊下を走り抜けたせいで息が上がっている。優介は肩で息をしながら、背後に立つ吹雪と目を合わせないまま、しっかりした足取りで教壇の裏へ回った。

「あった。予備のデュエルディスク」

 がちゃがちゃとプラスチックの音が鳴る。優介は棚の奥からそれを二つ分取り出し、片方を自分の腕に装着した。吹雪の正面に立ち、もう片方のディスクを差し出す。

「天上院。僕と決闘(デュエル)だ」

「!! ……いいね。受けて立とう」

 吹雪はにやりと不敵に笑い、差し出されたディスクを同じように腕へ着ける。

「口喧嘩じゃ埒が開かない。僕は殴り合いをしたっていいけど、きみはそういうの嫌だって言うだろ。それにどうせ闘うなら、こうするのが一番手っ取り早い」

「殴り合いが嫌? はは、それはどうかな藤原。やってみなきゃ分からないよ。最も、やったことがないから手加減できるか分からないけれど。……そういえばきみとデュエルするのはこれが初めてかな? 中等部入試のときも、実習授業でのくじ引きも、ボクたちはまだ当たったことがない。いい機会だ、ぜひとも手合わせ願おうじゃないか」

「ふん。望むところだね」

 お互いに向き合い、ディスクを嵌めた腕をまっすぐに伸ばした。じりじりと闘志が燃え上がっていく。むかっ腹が立ってしょうがない。その調子付いた鼻っぷしを、徹底的にへし折ってやりたい。

 二人はほとんど同時にポケットからデッキを取り出し、ホルダーへ差し込んだ。

「──あれ? 音が鳴らない」

「あれ? ほんとだ」

 ホルダーからデッキを引き抜いて差し直してみるが、ディスクはなにも反応を示さない。正しく動作するものなら、ホルダーにデッキが差し込まれることで自動で主電源が入るはずだ。だが何度試してもボタンを各種押してみても、反応はなにもなかった。

「どうやら故障してるみたいだね」

「そんな!! ああもう、やめだやめだ! もういいっ、もう知らない!!」

 優介はすっかり機嫌を損ね、フィールドの中央で大の字になって寝転がる。腕に嵌めたままのデュエルディスクが床とぶつかってがしゃんと鳴り、そのはずみにホルダー部分とカードプレートがばっきりと分離した。

 ネジが飛んでころころと床に大きな弧を描く。

「……あーあ、藤原が壊した」

「僕のせいじゃないよ。だってもとから壊れてたんでしょ? だから僕は悪くない」

 はぁ、と優介は溜息を吐いた。デュエルで決着をつけるのはいいアイディアだと思ったのに、ディスクも壊れてしまうし今日は散々だ。床を一周して戻ってきたネジがこつんと頭頂部を叩く。

「──っ、あははっ」

 吹雪の口から唐突な笑いが飛び出した。なにが可笑しいのか彼はそのままばかばかしく笑い転げている。優介は大の字になったまま、高い天井に反響する笑い声をぼんやりと聞いていた。

 こんなに広いデュエル場なのに、いま居るのは自分たち二人だけ。ディスクを壊した失態を知る者も居なければ、余計な茶々を入れてくる外野も存在しない。

「……あはは、あーあ。なんだかどうでもよくなっちゃったなあ」

 優介は顔をくしゃりと丸め、くすくすと等身大の笑いを溢す。左腕をわずかに動かすと、たったそれだけでデュエルディスクのパーツはがちゃんがちゃんと次々に分解して剥がれ落ちていき、最後には固定用のアームバンドだけが残った。こんな素っ裸になったディスクなど初めてで、二人の笑い声が重なる。

「ボク知ーらない。変なの」

「あーあ。なんだこれ。僕も知ーらない。こいつが勝手に壊れたんだ」

「…………ねえ藤原」

「なに」

「なんで怒ってたのか聞いてもいい?」

 すっと笑い声が途絶える。

「それ、まだ聞くの? 時効ってことにしない?」

「うやむやにするのあまりよくないよ。それに、誤魔化すときみのほうがあとあと気にしそうだ。違うかい?」

 ぐ、と優介は口を真一文字に結ぶ。けれど起き上がる気にはなれず、寝転んだままの姿勢で吹雪のほうを見上げた。

 その文句のつけようがない整った顔立ちを見ていると、まるでこっちが間違っているような気分になってくる──事実、正しくないのは優介のほうなのだろうが。

 優介はわざとぶっきらぼうな口調で言う。

「……だってさ。天上院は僕のことなんてどうでもいいんだろ」

「どうでもよくなんてないよ? そうでなきゃ探したりしないさ」

「でも女子に囲まれてチヤホヤされちゃって、困ったなァみたいなわざとらしい顔までしちゃってさ」

「あれは本当に困ってたんだよ。みんなボクのこと離してくれなくて」

「困ってたふりで、本当は困ってないだろ。天上院はそういうやつだ」

「……」

 吹雪は思わず閉口する。膝を折り、シンと静かに優介を見つめた。天井からのライトを背負い、彼の美しい面立ちに影が落ちる。

「……そんなふうに思われてたのなら、残念だな。こう見えて、ボクだって色々、考えているんだけどね。女の子のことだけじゃなくって、きみのことだってさ……」

「……天上院」

 逆光で彼の顔がよく見えない。小さな染みだった罪悪感が、雪原に墨汁を垂らしたようにみるみる広がっていく。

 優介は上体を起こし、彼の顔を隠す長めの茶髪をそっと指で掻き分けた。茶色い瞳が儚げに潤めいている。そのまなじりがひどく悲痛に感じられて、目が合うよりも先に優介はぱっと手を離した。優介も床へ視線を落とす。

「……悪かったよ。癇癪起こしちゃってごめん。勝手に不機嫌になった僕のほうが悪い。天上院は、悪くないよ」

「藤原、」

「でも、でもさ……」

 優介は膝を抱え、そこに自身の頭をうずめた。二の腕と髪の隙間から、吹雪へ視線を投げる。

 

「きみと一番先に会ったのは、僕だろ……。天上院にとっての僕って、……もっと、特別なものなんじゃ、ないの……」

 

 だって僕にとってのきみは。

 同じだけの視線を投げ返してくれることを信じて、優介はじっと吹雪を見つめる。

 僕の瞳になにが見えるかなんて、そんなの決まっているだろう。

 あの日、夜明けの船で見た、たったひとりの星明かり。神さまの懐からこぼれ落ちた、特別な輝き。

 ──夜へも朝へも行けない僕を見つけたのはきみで、きみを見つけたのは僕のはずだ。

 無言の膠着状態が続く。吹雪から返される眼差しは同等どころかそれ以上に深く、それだけで心が満たされていく気がした。茶褐色の彼の瞳は痛々しいほどに眩しく光を跳ね返し、そのハイライトの奥には自分だけが映っている。その双眸がじりじりと徐々に距離を詰めてきて、──このまま近付かれたらどうなってしまうんだろう?

「え、天上院、なに」

「じっとしてて藤原」

 言われるがままに優介は動きを止める。吹雪から目を逸らすこともできず、優介はその命令に従うしかできなかった。

 吹雪の茶色い髪が、優介の黄緑の髪の毛に入り込む。顔が近い。心臓のこんな高鳴りなんて知らない。肩に片手が柔らかく添えられて、後ろに退くこともできなくなった。

 反射的に息を止めて目を固く閉じた瞬間、期待していた箇所とは違う部位に、なにか柔らかい感触が届いた。

「──、」

「ひとりにしちゃってごめんね藤原。これはきみへの、特別なお詫び」

 真ん中分けにした額の中央から、そっとその体温が離れていく。何が起きたのかよく分からない。閉じていた瞼をこわごわと開けると、吹雪は相変わらずの端正な顔立ちで申し訳なさそうに微笑むだけだった。

「て、てん、てんじょういん、い、いま、なに、いまの」

「あれ、もしかして唇にキスされると思った?」

「き、きっ、えっ、だって、」

 優介は片手で自身の額をなぞる。血液だけでなくそれ以外のなにかが身体中を駆け巡っていく感覚がして、視界がぐるぐる回り出した。あまりにも衝撃的で、こんなの脳の処理能力をゆうに超えている。

「う、ううぅ〜……」

「えっそんな、泣くほど嫌だった!? ごめんよ、やらないほうがよかったかな」

「ちがうよ、ばか、そうじゃなくて……天上院のばか……」

 容積をオーバーした感情が目からぽろぽろ零れ落ちる。反則だ。こんなことはルールブックに書いてない。戸惑いがおさまらないのに不思議と嫌悪感はなくて、恥ずかしいような嬉しいようなめちゃくちゃな気持ちでいっぱいいっぱいだった。

 吹雪がなにか必死で弁解しているが、優介の耳にはろくに入って来ない。

「吹雪、藤原。廊下で騒ぎ声がしたと思ったら、お前たちだったのか。今日のレポートは二人とも再提出だって先生が、──!? 吹雪、藤原に何をしたんだ!?」

 柱の影から現れた亮は目を丸くして絶句している。おろおろと言い訳を続ける吹雪と顔を真っ赤にして泣く優介だなんて、見て驚かないわけがない。駆け寄ってきた亮へ、吹雪はさらに弁明を重ねる。

「亮、違うんだよこれは! 別にそういうわけじゃなくて!」

「聞いてよ丸藤! 天上院ったらひどいんだよ、天上院が全部悪いんだ!」

「藤原!! そうじゃないだろ、勘違いだって言ってくれよ!! やめてよ亮、そんな目でボクを見ないでよ、違うんだってば!!」

 さすがの亮もこの状況には、泣き顔を浮かべる優介側に与するしかない。今朝の教室でのこともあり、二人は和解に失敗したのだろうと推測した。亮は優等生らしくきりりと真面目な顔つきで吹雪に向き直る。

「吹雪、お前は確かにここのところふざけすぎだ。もう少し落ち着きをもって──うん? 藤原、なんだ、その腕に嵌めているものは。まさか……デュエルディスクを壊したのか……?」

「あっこれは、その、丸藤、これ最初から壊れてて」

「最初から壊れているものを着けるはずがないだろう。壊したんだな?」

「そうだよ亮、そのデュエルディスクはさっき藤原が壊したやつ。ほら、床にカードプレートとネジが落ちてるでしょ。乱暴に扱ったから部品がばらばらになっちゃって。かわいそうに。しくしく」

「なんでそれを言うんだよ天上院!! 誤解だよ丸藤、これ本当に最初から壊れてたんだよ!」

 亮は冷ややかに優介の挙動を眺める。ぎゃあぎゃあと陥れ合う二人の様子を眺め、どちらを先に断罪すべきだろうかと腕を組んだ。両者ともに無罪とは言い難い。

「だからね亮、ボクは悪くないんだよ!!」

「違う、もとはといえば天上院のせいだろ!!」

 二人があまりにも騒がしいため、自分が口を挟む隙はないな、と亮は口を閉じた。いずれにせよ、ここまで全力で言い合えるなら、当面の心配はないだろう。

 亮は無意識に口角を上げ、二人が言い合う光景をのんびり見物することにした。