あくびをしながら教室へ入ると、なにやら騒々しい人だかりが出来ていた。
「藤原、おはよう」
「おはよう丸藤。ねえあれなに?」
亮への挨拶もそこそこに、優介はひとまず筆記具の類を机へ置き、なんだなんだといった様子でその人だかりを見る。亮はいつもの真顔だが、表情筋にわずかに怪訝そうな角度がついていた。彼も自分と同じように摩訶不思議に思っているのだろう。
「なにって。いつものだ。吹雪がまた女子達に囲まれている」
「こんな朝っぱらから? 今度はなにしたのあいつ」
その人だかりの九割は女子生徒で構成されていた。きゃあきゃあと黄色い声援を挙げる輪のその中央。まいっちゃうネとでも言いたげな面持ちで、天上院吹雪が立っていた。ああまただよ、と二人で顔を見合わせる。
「なんでも、今度のゴールデンウィークに吹雪がどの女子と遊ぶのか、そのスケジュール争奪戦をやっているらしい」
「うわ、なにそれ」
日曜日は私よ。待ってその日は私の番。そんなのズルいわ。塊からはひっきりなしにそう言った甲高い声が聞こえてきて、うるさいことこの上ない。寝起きでぼんやりしていた優介の意識は一瞬で覚醒し、そして機嫌は一瞬で急降下していった。
あんなのに関わりたくない、と雑な所作で椅子に座る。亮はやれやれと立ったまま腕を組み、ふと優介の黄緑色の頭髪へ目を移した。
「藤原、ここ寝癖のままだぞ。跳ねてる」
「あ。ありがとう丸藤」
「……手で押さえてもすぐ元に戻るな」
「水とか使わないとダメかもね。いいよ、あとで直すから」
そうか、と亮の手が離れていく。寝癖はどうやら頭頂部にあるようで、自分で触ってみると確かにいつもは無い癖毛がそこにあった。手櫛を通しても直る気配はなく、すぐさまぴょこんと浮き上がる。まあ、トイレにでも立ったときに直せばいいだろう。
「それにしてもあいつはよくモテるな。あんなに女子ばかりに囲まれてなにが楽しいのか、俺にはさっぱりだが」
「同感。はぁ、くっだらない」
「そうだな。それに人気者を目指すなら、男女比が偏ってるのはよくないだろう」
「え? なに言ってんの丸藤」
「? なにがだ」
亮はなにを指摘されているのかさっぱり心当たりがないようで、いつも以上の真顔になっていた。この丸藤亮という級友は、生真面目そうに見えて実はとんでもない天然なのだ。
片肘をついて手に顎を乗せる。ちらりと壁の時計に目をやると、最悪なことに授業が始まるまであと五分以上かかるようだった。
頭上にハテナマークを浮かべる亮を尻目に、優介はぶつぶつと文句を飛ばす。
「入学式で王子様王子様ってチヤホヤされちゃってさー……。いい気になっちゃってるんだよ天上院は。だってもう四月も終わるんだよ? いつまでやってるんだって話。丸藤はあの王子様扱いブーム、いつまで続くと思う」
「さあな。興味がない」
「薄情者め」
けっ、とわざとらしくいじけて見せる。が、亮にとってはその程度のことなど実に瑣末であり、まったく取るに足らないようだった。やはり、期待していたような反応は彼からはなにも引き出せない。
優介はつまらなさそうに口を尖らせる。
「丸藤、知ってる? 僕は入学式よりも前に天上院と会ってたんだよ」
「知らないな。初耳だ」
「まあ、島に来るときのフェリーでだけどね。あ〜あ、あのときの天上院は特別僕に優しかったんだけどなあ! 僕に見惚れるなんかしちゃってさ。顔が綺麗だって散々褒め殺されたのに、実際そうなってるのは天上院のほうじゃないか! いい友達になれると思ったのに。夢にまで見たばら色の学園生活が始まるんだってそう思ったのにさ!」
ぷう、と優介は頬を膨らませる。亮はその頬を指で突ついてみようかと思ったが、少し考えて、やめた。手はその代わりと言わんばかりに、相変わらず明後日の方向へ跳ねる優介の寝癖へと伸びる。
「なにさ丸藤」
「いや、なんでも。……藤原」
「だからなに」
「顔なら、俺も褒めちぎられたな。青龍刀みたいな雰囲気で格好いいと言い倒された。俺は自分の容姿についてそういう視点はなかったから、斬新な挨拶だと思って受け止めていた」
「はあ!? なにそれ! つまり天上院は誰にでもそう言ってるってこと!?」
「誰にでもというわけではないと思うが……」
「もう怒った。もういい、天上院とは今後二度と口きかない!」
ふん、と優介は顔を教室の中心から背ける。あんなやつなんて視界に入れたくもない。おい、と呼びかける亮も優介は無視している。仕方ないので、亮はせめてもの手慰みにと彼の跳ねた寝癖を弄ぶことにした。
「丸藤。さっきからそれ、やめてくれる?」
「いや、なぜか気になってしまって……。しかし頑固な寝癖だな」
「あとで自分で直すってば。ほっといてよ」
寝癖で手遊びを続ける亮を優介はじろりと睨みあげる。優介は目つきが悪いと言われることがしばしばあり、本人はそれをそこそこ気にしていた。が、下から睨む程度のことで人払いができるなら簡単でいい。優介の不機嫌な態度を理解したのか、亮は手をさっと引っ込める。
ふん、と優介は視線を例の人だかりへ向ける。吹雪は何人もの女の子に囲まれて楽しそうに受け答えしている。さながら理想的なプレイボーイだ。塊の中の誰かがギャグでも言ったのか、どっと笑いが巻き上がった。優介の眉間に深い皺が寄る。
「藤原。顔に出過ぎだ」
「そういう丸藤は顔に出なさ過ぎなんだよ」
「出るもなにも。俺は別に、吹雪の言動はどうとも思っていないんだ。俺に飛び火するなら話は別だが、いまはそうではない。藤原こそ吹雪に言いたいことがあるなら、自分から直接伝えに行ったほうがいいと思うが……」
「さっき言ったでしょ? 僕はもう天上院とは口きかないつもりでいるの。あんなやつと関わっても良いことなんて起きないからね」
教室の中央が騒がしい。笑い声は絶えず、すぐにまた破裂したように笑い声が上がる。うるささとストレスで鼓膜が破れてしまいそうだ、とじっとり睨んでいると、ようやく渦中の人物がこちらの視線に気付いた。
「……!」
「……」
楽しげな談笑から一転、吹雪は露骨に顔をうろたえさせた。この席から吹雪の声ははっきりとは聞こえないが、あっ、とか、えっと、とかの感嘆詞ばかりを発声させているような、そんな口の動き方をしていた。その慌てっぷりがまったくもって面白くなく、優介は首を真横に背ける。こうでもしなきゃあいつは分からないだろう。
隣で眺めていた亮が、これ以上は見てられないといった様子で口を開いた。
「おい、藤原」
「……」
亮は片手の指先を額に押し当て、浅く溜息を吐く。突然こんな冷戦を仕掛けられては溜まったものではない。
「俺から吹雪に取り次いでおくから、あとで二人で話し合え。友達として俺ができるのはそこまでだ。その、……こういうのは、俺も、御免だ。……あまり居心地がよくない」
「……! 丸藤、」
「時間だ。そろそろ先生が来る」
そう言われて壁時計に目を遣った直後、始業のベルが教室に鳴り響いた。それを合図に、塊になっていた人だかりはそそくさと解散していく。
亮には悪いことをしてしまったと優介は思ったが、彼は既に自席へ座っていてこちらを振り向く気配はなかった。代わりに優介の視界に、席へ戻ろうとする吹雪が通り過ぎる。
──ゴ、メ、ン、ネ。
彼は口パクでそう言っていて、事実申し訳なさそうな目配せを優介に送っていた。通り過ぎざまの一瞬だったため優介は何も言うことができず、小さな罪悪感がじわりと滲む。
「(でも、でも……調子に乗ってる天上院のほうが悪いんだし、)」
そう自分に言い聞かせるうち、始業ベルから一拍置いてようやっと教師が到着する。得意なはずのデッキ構築論の授業はろくに頭に入らず、言われるがままに板書を書き写すだけの実に無様な午前中を優介は過ごした。
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