Unknown Loveletter - 3/3

 佐藤先生と別れ、藤原は図書館へと向かう。少し頭が痛くなってきて、寮の自室に戻って頭痛薬でも飲もうかと考えたが、それよりも今はレポートを片付けたい気持ちが強かった。

 ぎぃっと重い防音の扉を開けると、がらんとした図書館の中で、藤原がいつも座っている席に見慣れた後ろ姿が突っ伏していた。特待生の白制服にチョコレート色の長髪。ウッ、と一瞬息を呑んだが、わざわざ来てくれているのはつまりそういうことなんだろうなと、覚悟して藤原は近寄った。

「藤原、遅かったネ」

「あー、天上院。その」

「……聞いて藤原。あのね」

 藤原が椅子に座ろうとしたとき、机に伏せていた茶髪がもぞりと動いた。前髪の隙間から片目が覗く。それがいつになく弱々しい色合いで、藤原は後ろめたさに硬直した。
 吹雪は突っ伏したまま目線だけを藤原へ向ける。

「………………ボクのこと、キライ、に、なっちゃった?」

「!! そんなわけないよ!! 嫌いになんてなるわけない!!」

 予想以上に大きな声が出てしまい、藤原ははっと周囲を見渡した。幸い他に生徒は見当たらずうるさがる人もいなかったが、図書館という場所柄を考慮して念の為声のトーンを落とした。

 そっかぁ、と吹雪はすっかり安堵して、どこか気の抜けた柔らかすぎる笑顔を浮かべる。

「ああ良かった。嫌われてたらどうしようかと思った! 心配させちゃってるのかなと思ったんだ。ボクがどこか女の子のとこへ行っちゃうんじゃないかって」

「……」

「ラブレターを見て嫌な顔をしたのって、そういうことなんだろう? 藤原はほら、自分も女の子たちにモテモテになりたいんだっていうタイプでもないし。だから、……恋愛に興味がないんなら、そっちかなって」

「……」

「ねえ……安心して? ボクは誰とも付き合うつもりはないし、……今は藤原の隣にいるほうが楽しいって、そう思ってるから」

 眉尻を下げて微笑む吹雪に、藤原は何も言えなくなってしまった。無言のまま座れば、椅子の脚が床を擦る音がうるさく響く。

 確かに藤原は恋愛に興味がないし、異性からモテたいわけではない。恋は害悪で、好きも嫌いも迷惑でしかない。ならば懸念点は友情の方かと連想するのも、言われてみれば自然なことかもしれない。

 吹雪が誰かと付き合うなんて、これまで一度たりとも想像したことがなかった。親友同士で隣にいるのが当たり前で──それが永遠に続くものだと、藤原も信じ切っている。中等部の三年間から高等部一年の現在に至るまでずっと一生。十中八九卒業まで変わらず一緒だろう。その点においては吹雪と同意見のはずだ。

 同じはず、なのに。

 藤原は慎重に、感情を一粒ずつ整理しながら言葉を当て嵌めていく。

「…………そんな心配なんて、してなくて……。天上院の、杞憂だよ」

「そう? そうかな。ボクにはそんなふうに見えたよ」

「……僕は、天上院がモテすぎることに嫉妬してるわけじゃないんだ。今日も話しただろう。本当に嫉妬じゃないんだよ。…………本当に羨ましいことは、別にあって……」

 机の上で組んだ両手へ視線を落とす。前髪の端が一房垂れて両目に半端に被さった。前屈みになった弾みで、ジャケットの内ポケットに封筒を入れていたことを藤原は思い出す。佐藤先生から返却された、吹雪が本来貰うはずだったラブレター。

「(きっと天上院は分からないだろうな。僕が本当は何を羨ましがっているかなんて。……天上院にはそういう感覚自体がないんだもの。分かってもらおうなんていうの自体が、烏滸がましい話で…………)」

 こんなの伝えるだけ無駄で。
 自分が勝手に妬んで羨んでいるだけ。
 ──好きとか嫌いとか、迷惑極まりない。

 次になんと言おうか思案するうちに頭がどんどん重くなって、藤原も机へ突っ伏してしまった。緑色の癖毛が机へ広がる。どういう表情を浮かべればいいか分からなくて腕で顔を隠そうとしたが、吹雪の手が横から伸びてきてそれを阻止した。

「……なに」

「本当は。ボクのなにが羨ましいの? ……教えてよ、藤原」

 吹雪の指が藤原の頬に刺さる。藤原は紫の目を細めて、吹雪の視線をこわごわと手繰り寄せた。アイドルスマイルではない、自然体で等身大の、ただの天上院吹雪としての微笑みがそこにある。

 普段あんなに溌剌とやかましいのに、図書館に合わせた優しい小声になっていることも、長い睫毛に縁取られた目が自分だけに向けられていることも。全部が好きで、全部が嫌いだなと思った。

「…………言いたくない」

「教えてよ〜。いいだろう、ねえ。ボクは藤原がどう考えてるのか知りたいよ。本当になんでもいいんだ。教えてほしいなあ」

「嫌だ。絶対言わない。……だって、一方的で押し付けがましいのは僕も同じだって、証明することになってしまうから」

「? なんだいそれ、どういうこと?」

「自己嫌悪ってこと。天上院は知らなくていいよ」

 ──相手の気持ちを考えずに本音を吐露してしまえば、そんなのラブレターの持つ迷惑さと同じじゃないか。

 そんな寂しいこと言わないでよ、と吹雪は藤原の頬を無邪気にグリグリと指す。押し込まれる力が強いので反発するように頬を膨らませれば、それがおかしく見えたのか吹雪は声を上げて笑った。指で突かれたせいで、ぶぴゅう、と間抜けな音が藤原の口から飛び出る。

「あははっ! ねえ藤原、そんな辛気臭い顔しないでってば!」

「ふん、別に辛気臭い顔なんてしてないさ。ただうっすら頭痛がするだけ」

「いつものやつ?」

「そう。いつもの頭痛」

「そっかぁ。早く痛みが引くといいね」

「…………天上院」

「なあに?」

「すまなかった。今日はイライラしてしまって」

「いいよ、もう。ボクのほうこそごめんね。だから、ね、気にしないで!」

 とりあえず心配事は解決したのだろう、吹雪は普段通りに晴れやかに笑っていた。何がどう解決したのか藤原にはサッパリだったが、ここは自分が折れてあげるしかあるまい。眩しくて頭が痛いことも本当だった。

 藤原はポケットから、預かっていた封筒を取り出す。

「これ。さっき佐藤先生とすれ違って、僕が預かってた。天上院クンに返しといて、だってさ」

「あ、没収されてたラブレター! 佐藤先生、返してくれたんだ。もう読めないかと思った!」

 パステルピンクの封筒が吹雪の手へ渡る。きらん、と即座に吹雪の目に流星が走ったのを藤原は見逃さなかった。アイドルのような、好意を好意で返す天性の才能。生粋の、生まれながらの聖人。

「藤原、ありがとう!」

「…………どういたしまして」

 隣でキラキラ笑う吹雪が眩しくて藤原は目を細める。眩しさが心底迷惑で、頭上にずっしり伸し掛かる痛みを、藤原は生涯一人で抱えることに決めた。