Unknown Loveletter - 2/3

「(ああ〜……冷静になって考えてみれば、どうしてラブレターごときであんなにイライラしていたんだろう)」

 放課後、藤原は購買で足りない文房具を買い足しに来ていた。夕方らしく後ろの窓からはオレンジ色の夕日が差している。

「(だって、天上院がへらへらしてるのが面白くなくて……。嫌な顔ひとつ浮べないほうがおかしいんだ、僕が代わりに怒ってあげることくらい)」

 仮にそうだとしても、あそこまで露骨な態度を取らなくてよかったかもしれない。やってしまった、はぁぁ、と藤原は憂鬱な溜め息をついた。

「(あいつがどれだけモテモテだろうが僕には一切関係ないのになあ。僕自身はなにも迷惑を被っていないはずだし、無関係だっていうのに……)」

 自己嫌悪に気持ちが沈む。落ちていく日差しが眩しくて目が自然と細くなる。

 購買でシャープペンの芯と、ルーズリーフの替えと、と買うものをピックアップしていると、とある棚で目線が止まった。

「あら、それが気になるの?」

「あ、いえ。そんなことは」

 カウンター奥からトメさんに話しかけられる。花のイラストが印刷された、淡いパステルピンクの封筒。──吹雪が貰っていた封筒と同じものだ。購買はずっと利用しているのに、こんなものも売っているなんて今はじめて気が付いた。

「その封筒、女の子の間で人気なのよぉ。ピンク色だしお花もカワイイって。ラブレターとして使う子が多いみたいよぉ、うふふ! 藤原ちゃんも買っていくかい?」

「別に欲しくて見てたわけじゃないですよ」

 そうか、あれはここで買ったものだったのか。確かによく考えれば、本土へ戻るタイミングもないこの環境では必然的に、手に入るものも限られるだろう。

 藤原はじっと商品棚の封筒を見る。確かに今日見た封筒と全く同じだ。封筒が一枚に専用の便箋が五枚のセット。二年の先輩から貰ったと吹雪は言っていたが、未開封で中身にはまだ目を通していないととも言っていた。

 商品棚の前で考え事をする藤原を見て、もしかして、とトメさんは何か閃いたように話しかけた。

「藤原ちゃんもその封筒が使われたラブレターを貰ったのかしら」

「あはは、そんなんじゃないですよ。天上院はしょっちゅう貰ってますけどね……見てて嫌になるくらい。僕はそんな、ラブレターなんか。トメさん、お会計お願いします」

「そーお? そうかしらねえ……藤原ちゃんだってねえ。気付いてないだけじゃないのかい? あ、先週発売のカードパックが再入荷されてるよ。今日は買っていくかい?」

「今日はカードはやめておきます。どうも」

 レジ袋を受け取り購買を出る。トメさんが意味ありげにくすくす笑っていたのが何か引っ掛かるな、と気にはなったものの、どこにも心当たりがなくて首を捻った。藤原が女子からそれらしい手紙を貰ったことは一度もない。

「(…………好きとか嫌いとか。僕にとっては迷惑なものでしかないな……)」

 窓の向こうは茜色で染まっている。雲も風もほとんどない穏やかな夕焼けだ。木々の合間から小鳥が一羽飛んで行った。

 今日このあとの予定はない。本校舎の図書館で自習するか寮の自室に戻るか迷ったが、寮だと吹雪と鉢合わせそうな気がして藤原は図書館の方向を目指した。座学が苦手な吹雪が図書館を訪れることは滅多にないのだ。吹雪を中心とした喧騒から離れたいとき、藤原はよく図書館を避難場所にしていた。

 文房具も補充したし、やりかけだったレポートを片付けるいい機会だろう。それに──あんなにイライラを表に出してしまったのもそうだし、それを振り返って今更自己嫌悪に浸っているのだって、気まずいことには変わりない。

 キラキラとアイドルスマイルを浮かべている天上院吹雪を想像する。ファンの女の子に取り囲まれて、きゃあきゃあ言われて、握手だのサインだのを次々に求められて。

 好き、大好き、だいすき、と一方的に気持ちを押し付けられて。

 なのにそれらを苦とも思わず、疲れた顔ひとつ浮べない。

「……」

 けれども本人の口ぶりから察するに、あんなの吹雪にとっては本当に、ストレスでもなんでもないのかもしれない。

 浴びせられる愛を無条件に、無制限に受け取ることができる。

 ──羨ましい。

 どんよりと肩が沈む。前髪が目に被さって鬱陶しくて顔を上げると、同じように、いや、藤原以上に陰鬱なオーラを背負う人物がいた。濁った雨雲のようなモサモサの長髪が、夕日の橙を引き摺るように廊下をとぼとぼと歩いている。

「佐藤先生」

「……ああ、藤原クンか。どうしたんだい、私に何か用かな」

「佐藤先生こそ。足取りが重そうだったので……」

 ぬうっと佐藤先生が振り返る。はぁぁ、と漏れ出る溜め息が深く、不必要なほどにジメジメしている。授業外で話しかけるのは初めてで、ネガティブな雰囲気がこちらに感染してしまいそうだなと思った。

「いやなに、今日の授業はやり過ぎだったなと、自己嫌悪に陥っていたところで……。ラブレターに浮かれている天上院クンが癇に障ってしまって」

「ああ〜分かります……。天上院のモテは絶えることがありませんし……。みんな、特に女子は、天上院のことが大好きですから」

 ですよねえ、と藤原は佐藤先生と相槌を打ちあった。こんなところで意見が一致するなんて、珍しいこともあるものだ。誰に対しても平等にキラキラと微笑む吹雪を苦手に思っているなんて、そうそう表立って言えるものではない。

「教職に就いた以上は学生の恋愛沙汰ぐらい覚悟しておくべきでした。不純で不健全なものならともかく、ラブレターを送るのなんて、まったくもって健全ですからね。……藤原クン、きみは確か天上院クンと仲が良かったですよね」

「う、……はい、多分……そうなんじゃないですか」

 しどろもどろになる藤原をよそに、佐藤先生はジャケットの内ポケットへ手を伸ばした。これを、とパステルピンクの封筒が差し出される。封はまだ破られておらず、没収しただけで手はつけられていないのは明白だった。

「クラス全員の前で没収なんて、送った女子生徒にも悪かったなと考え直しましたよ。さすがにやりすぎだったなと。……これ、天上院クンに返しておいてくれますか?」

「え、僕がですか?」

「他に誰がいるんです?」

「先生が直接返せばいいじゃないですか」

「藤原クン。ここだけの話ですが、実は私は天上院クンのことが苦手なんです」

「うわぁ……大人気ない……」

 別にいいでしょう、と佐藤先生は心なしか目つきを鋭くさせる。はぁ、と藤原は生ぬるい返事をするが、本音を言えば、藤原は佐藤先生のことがあまり得意ではなかった。全身に待とう陰鬱なオーラもそうだが、教職でありながらこうして高校一年生と張り合うなんて、大人気ないにも程がある。

「とはいえきみも分かるでしょう。天上院クンは授業中よく寝ているので、教える側としてはあまり気分がよくないんですよ。それに──ああいうタイプは眩しくてあまり見ていたくないんですよ。……自分があんなふうにはなれないことを、思い知らされますから」

 佐藤先生はにっこりと薄暗く笑う。それは教職の立場からではなく、ただの個人として放たれた台詞だと感じた。

「……眩しいですか、天上院は。佐藤先生の目から見ても」

「はい。嫌になりますよ、彼と接してると。自由奔放で自信に満ち溢れていて……。私の自己嫌悪が悪化します」

 ──天上院吹雪の隣にいるのはあまりにも眩しい。頭痛がするほどに。

「…………つまり、佐藤先生の逆恨みってことですね」

「ええ。逆恨みで結構。私が勝手に妬んでいるだけですよ。……でも、そういうものでしょう?」

 ねぇ、と佐藤先生は改めて藤原へ封筒を差し出した。猫背で俯き気味なことと、丸眼鏡の傾きも加わって表情はよく見えない。口元は笑っていながらも苦々しさを含んでおり、やはりこの大人は信用ならないなと藤原は思った。口調も仕草もどこか湿っぽくて、しかし、その湿気の根源は案外近いところにあるようにも感じた。ある種の同族嫌悪なのかも、と考えながら、しぶしぶ封筒を受け取る。

「……天上院は。生粋の聖人なんですよ。眩しくて当然なんです。僕は中等部からずっと一緒なのでよく知ってます。だから隣にいると眩しくて仕方がなくて、……嫌になる。……一方的に押し付けられる好意のすべてを綺麗に好意で打ち返すなんて、あんな真似は僕にはできない」

 パステルピンクだった封筒が夕日の橙色へ変わっている。藤原はなんとなく窓の外へ視線を移した。遠くの海面が太陽に照らされてキラキラ輝いている。その日差しのあまりが、自分の横顔をも照らしてくるのがありありと分かった。

 眩しくて、綺麗で、頭が痛い。

「ただ……ただ、羨ましいんだと思います。天上院のことが。……じゃあ佐藤先生、また」

「ええ。返却、お願いしますね」

 

***