斎宮宗(9)は鬼龍家のお母様からレース編みを習っている。
宗はいつものように玄関に立ちチャイムを鳴らすが、どれだけ待っても返事がない。
不審に思った宗は無理やり柵を乗り越え侵入する。
友人でありここの息子である紅郎はどこへ行ってるのだろう?
「お母様ー?」
なんとなく嫌な予感に爪先が震えていた。
呼びかけに返事はない。宗は恐る恐るリビングの扉を開ける。
「お…か……」
無数の糸や紐や布が、彼女を中心として無残に散らばっていた。見慣れた裁縫箱と教本、編棒も近くに転がっている。
「…しゅう…くん……?」
土気色の顔からは土気色の声がした。宗はその場から動くことができなかった。
こんな異常事態に出くわしたのが初めてだったから、というのもある。
が、宗は倒れ伏した彼女に見とれていたのだ。
編みかけのレースの束が箱からこぼれ落ち、舞台上で殺される舞姫のように思えたのだ。たとえ土気色の顔をしていても、彼女は美しく、宗の愛しい存在であった。
彼女はフローリングを弱々しく這いずり、”でんわ”と目と口で訴えた。もう声を出す気力もないらしい。
濁った瞳と目が合い、宗はやっと我に返って自分の鞄をまさぐる。
連絡用に持たされていた携帯電話があったはずだ。
119番のオペレーターに彼女の症状を事細かく伝える中、「あなたは息子さん?」と訊かれた。
宗は確かに、彼女のことを『お母様』と呼んでいる。実際の血縁関係はない。息子は紅郎だ。
だが、紅郎と自分は同い年で、伝言役でしかないオペレーターにそれが見破れるはずがない。
「はい、息子です。僕の母です」
それが、斎宮宗が犯した最初の罪だった。