曖昧さを描く映画「CLOSE」

映画「CLOSE/クロース」を見に行ってきました。

めっちゃくちゃよかったです…。

最高です。大満足の映画でした。私の好きなものしか入ってませんでした。

ツイッターで五月くらいに予告を見て、これもう絶対私の好きなやつだ!!映像が美しい!!13歳!!洋ショタ!!最高の予感がする〜〜〜!!!と目をつけていて、予定も空いていたので封切り二日目に見に行きました。
ミニシアター系っていうんですか、メジャーどころの映画は置いてない系の映画館ってはじめて行きましたね〜。

洋画は吹き替えのほうが情報量が増えて好きなんですが、字幕版でもすんなり楽しめました。むしろ字幕版のほうが、セリフの少なさが際立っていてよかったな〜という感覚です。

──永遠を壊したのは、僕。

花き農家の息子のレオと幼馴染のレミ。昼は花畑や田園を走り回り、夜は寄り添って寝そべる。24時間365日ともに時間を過ごしてきた2人は親友以上で兄弟のような関係だった。

3歳になる2人は同じ中学校に入学する。入学初日、ぴったりとくっついて座る2人をみたクラスメイトは「付き合ってるの?」と質問を投げかける。「親友だから当然だ」とむきになるレオ。その後もいじられるレオは、徐々にレミから距離を置くようになる。

(公式サイトからキャッチコピーとあらすじの一部を引用)
https://closemovie.jp/

 

※以下の感想はネタバレを前提にして書かれています。

 

 

 

 

儚いんですよ…繊細でッ……折れそうなくらい細い手足で花畑を駆ける二人が……ッ!!!

冒頭、幼さそのままに兵隊ごっこをする二人が、薄暗い場所から明るくて暖かい花畑へ飛び出していくシーンで「やられた」となりました。
やられた、これは「わかってる」人が作ってる映画だ。
二人一緒であんなに楽しそうに、自由にのびのびと花畑を駆け回る。
これは「上げて落とす」タイプのお話なんだな、と直感しました。

レオとレミは幼馴染でありまるで兄弟のように一緒に育って、子犬みたいに戯れて…。
夜眠るときは同じベッドでくっついて眠って。
ここの眠りのシーンでレミがうまく眠れないそぶりを見せるんですが、そこでレオが語る御伽噺が「愛そのもの」でしかなく、愛おしさで胸がいっぱいになりました。


きみはアヒルの赤ちゃんで黄色くて、みんな黄色いんだ。でもその中で、きみが一番黄色くて美しい。きみは特別なんだ。
あるとききみは一匹の蛇と出会う。蛇はこれまで見たことのない色をしてる。きみはそれを美しくて特別だと思う。
夜、二人はトランポリンの上に乗って……お星様に届きそうなくらい、高く高くジャンプする。
ビュウー……ビュウー……(口で繰り返し風を吹く音)

セリフはうろ覚えですがこんなようなお話をしていて、ああこれって愛の話なんだな、二人の間には確かに愛があるんだ、と。
「きみは綺麗」「特別」で、さらに「特別だと思う相手と出会う」話なんて、ましてやこのお話を同じベッドの中でぴったりくっついて聞きながら眠りに落ちるなんて。これをと呼ばずしてなんと呼ぶんでしょうか。

しかし、なんだか嫌な予感がします。

そう、これは上げて落とすタイプの作品。
こんなに幸せな場面が冒頭にきちゃったら、あとはもう「落とす」しかないじゃないですか。

あらすじにもある、クラスメイトから「二人って付き合ってるの?」と尋ねられる場面はかなり早々にきました。
お、もう来るのか、早いな。と。
こんなに早く来ちゃうってことは……このお話、一体どこまで下がるんだ……?

二人って付き合ってるの〜という下世話な質問に、「僕たちはキスもしないし手も繋がない、カップルじゃない。この話はここで終わり」ときっぱり告げるレオ。
ここで興味深いなと感じたのは、当事者の片割れであるはずのレミのリアクションがカメラには映らないことです。
あ、これは意図的に映さないようにしてるな、と感じました。
この話を横で聞いているときのレミの気持ちは、レオにもわからないし、観客にもわからないようになっている。

この後も徹底してレミの気持ちはわからないように描かれます。
カメラはほとんど常にレオを追っていて、めちゃめちゃこの子の顔面が整っていて美しいせいもあって、非常に絵力があります。
レオ役のエデン・ダンブリンの顔面、特に目元がおそろしいほど魅力的で。まなざしの演技がとにかくよくて見惚れてしまう。

 

レオはだんだんレミを避けるようになっていき、クラスの男子にもうまく馴染めなかったけれどもアイスホッケーを始めることでだんだんホモソーシャルの世界へ溶け込んでいく。
アイスホッケーって文字通り氷の世界で、硬くて冷たい。白い氷のリンクと黒いユニフォーム。
これは花畑との対比で選んだモチーフなんだろうな〜。私の話で恐縮ですが、花と雪(氷)の対比っていう演出は自分の本でも使ったので、どういう意図での演出なのかすぐに検討がつきました。

 

そしてこの映画、とにかくロケーションがめちゃくちゃいいんですよ。
ただだだっ広いだけの草原、地平線が見えそうなくらい広い道。こういう場所は日本ではまず撮れないよな〜と。電柱あるからね日本は。
劇場の大きなスクリーンで見たこともあって、空間の広さに没入できていい体験でした。

 

二人は自転車で一緒に横並びになって登校していたものの、その”横並び”が徐々に崩れていく。レオが一歩先を走るようになる。
心の距離が離れていってるっていう演出が非常〜に巧み!!
比喩的表現がうまいな〜!と思う一方で、冒頭から続いていた嫌な予感はがっつり的中します。

 

毎朝一緒に登校していたのに、レオはレミを置いてひとりで先に学校へ行ってしまう。
学校に着いてクラスメイトと話していたレオを呼び止めるレミ。


「どうして今朝は先に行ったの」
「……朝ごはんを早く食べ終わったから」
「僕を置いていった!!」

 

言い争いは喧嘩に発展するものの、これ以上のセリフはほとんどない。レミは「僕を置いていった」としか言わない。はっきり言えることがそれしかないからです。

この喧嘩のシーンほんっとうに心が痛くて…。棒っきれみたいなか細い手足を力一杯振り回して。中1、12〜13歳っていう年齢の幼さが如実に出ていて、その年齢の子達を正面から撮ろうという意思を強く感じました。

 

事態はさらに悪化します。
校外学習の日を無断欠席したレミ。違和感を覚えながらもレオは普通に楽しんで、その帰りのバスで、レミが「もういない」ことを突然告げられる。

 

そうです、この映画、レミは死ぬんです。

予告見て「死にそう〜〜〜〜!!!!!!」って予想したことがずばり的中して、ああ〜〜〜予想通りだった……と静かに噛み締めました。

 

細かく感想書いていくとキリがないので一旦このへんにするとして。

レミは自死する際になにも遺しませんでした。どうして自死を選んだのか手がかりはなにもありません。
ただレオだけが、「僕のせいなんじゃないか」と抱えて、ひとりで抱え続けて、向き合わなきゃいけないのに向き合えなくて…という喪失の描写が後半ずっと続いていきます。

季節だけが淡々と流れ、気を紛らわすように実家の肉体労働を手伝ったり、アイスホッケーへ打ち込むときも自傷行為のように転倒したり。

 

全体的にセリフが少ない映画で、レオの気持ちも観客にははっきり明示されないし、なんならレオ本人もよくわかっていないでしょう。

「カップルじゃない」と否定したけれど、互いに大切な存在であることは間違いなかった。
でもレミはレオをどう思っていたのかわからないし、レオがレオのことをどう思っていたのかも、なにも、わからない。

 

ここからがこのブログ記事の本題です。

私はこの映画が「わからないままを描く」っていうコンセプトに基づいて作られているように感じて、非常に嬉しい気持ちになりました。

 

私の話をします。

私自身は身体女性で性自認もはっきり女性!なシスジェンダーですが、性指向がとんでもなくゆるゆるで、異性も同性も好きになったことがあります。

性別がNGの理由になることがないっていう感覚が近くて、その人が好きであれば男女以外の性別でも好きになるだろうな〜とすら感じます。なので両性愛か全性愛ってことになりそう。
ロングヘアの子が好みと言いつつもショートヘアの子に恋しちゃうってことは全然ありますよね。そのくらいの感覚です。
(ただ同性と交際したことはないんですが。そういう気持ちがあっただけです)

さらに面倒臭いことに、友情と恋愛の境目もめ〜っっっちゃくちゃ曖昧で、ずっとよくわかってないんですよね。
いや「実はみんなよくわかってないよ」っていうのはそうだろうなと思うんですが、「恋愛として好き」って…何……?
それは友情との間のどこに線を引くの?
あるいは「これは友情、これは恋愛」とすべてのものにラベル付けをしなきゃだめ?
曖昧なままなのはよくないこと?
わからないままなのはよくないこと?
相手を好きな気持ちにラベル付けって必要?

 

どうもこういう考え方をクワロマンティックと呼ぶそうです。たまたま知って、へえ〜名前あったんだ!?とびっくりしました。
私自身のそういうジェンダー観もあり、「CLOSE」では終始一貫して感情を明確にしないまま描くっていうコンセプトに感動したんです。

 

レオとレミの関係は非常に親密で、それ以上でもないかもしれないし、けれどもしかしたらそれ以上かもしれなかった。
二人だけの閉じた世界から飛び出して社会性に晒されて、そこではじめて「それ以上かもしれない」感情に気づいたのかもしれない。

 

けれどもなにもかもが曖昧で、正体は何もわかりません。
私はその、「何もわからない」感覚、考え方、価値観が当たり前のものとして内側に在ってずっと大事にしていて、だからこそその感覚に焦点を当てて映画を撮る人がいるっていうことが嬉しかった。

曖昧でも正体がわからなくても、相手を大切に思う気持ちは確かにあるんです。

 

私はそういう愛の話が書きたい。

 

「CLOSE」、いい映画でしたよ。パンフレット表紙の透明箔が綺麗で儚くて、おすすめです。中身もめちゃくちゃいい。監督のインタビュー是非読んでみてほしいです。