「ハッ、プライドの高いやつめ。路上で行き倒れても知らないからな」
「お生憎様。ボクはそこまで愚かじゃないさ」
エドの軽口に、万丈目はハーッと深い溜息で答えた。まあ降る確率は半々のようだし、降ったとしてもここは東京だ。せいぜい粉雪がちらちら舞う程度だろう、とエドは傲慢に高を括った。
***
地面のところどころが雪で白い。今この瞬間は降っていないものの、すぐにまた降り出しそうな気配だ。
両手に息を吹きかける。予想以上に寒くて、高を括ったことを後悔した。ここ数日で一番の冷え込みだ。
日はすっかり落ち切り、高く伸びたビルとビルの隙間を埋めるように夜の黒が敷き詰められている。しかし時刻はまだ午後五時で、これからもっと気温が下がっていくのはゆうに想像できた。
「(……寒いな)」
空を見上げながら自分達の運命について考えを巡らせる。
もう自分と斎王を結ぶものはない。空中に浮いた糸をどれだけ手繰っても、彼へ繋がることはないのだ。自由と言えば聞こえはいいが、縋れるもののない暗闇にエドはひとり宙ぶらりんで取り残された感覚だった。運命に縛られていたからこそ、運命以外で繋がる方法を知らなかった。
──もしも、もっと簡単に、もっと単純に、繋がる方法があるのだとしたら。
エドはしばらく街並みを歩いた。道往く人は傘を持っていたり持っていなかったりで半々ほど。この時間帯にこの天気だ、大半は自宅へ帰っていく人だろう。この天気で無理に行動しなくてもいいんじゃないかとエドも最初そう考えたが、そうやってうじうじ躊躇っているからこんなにもつれてしまったんじゃないかと、自分の甘い考えを叩き直すつもりでエドは迷いなく風を切っていく。頬にナイフを当てられているような、鋭い寒さが疾っている。
雪がちらつき始めた。天空から落ちてくるそれらを眺め上げる一瞬の間も惜しい。エドの白銀の髪が、一層白い結晶の粒で無意味に装飾されていく。道路は溶けかけた雪で汚れてびしょびしょだ。
一心不乱に歩き、エドはいつもの丁字路に来た。寒さの中脇目も振らず歩いたせいで心拍数が上がっている。雪が視界のあちこちに入り込んで邪魔だ。エドは息を整え、意を決して左へ曲がる。
「……斎王、」
まっすぐ伸びる並木と街灯の奥に、男が一人歩いていた。黒い傘をさしていて詳細は分からないが、あの長身と腰まで届く長い髪に、体積を感じさせないどこか幻めいた歩き方。
エドは小走りになり並木の奥の人物を追った。あれは斎王だ。黒い傘の背中へ、斎王、と声をかけようとしたところで不意に喉が詰まる。
彼を呼んでいいのだろうか。
呼んで、振り向いてもらって、振り向いてくれた斎王のその顔を、自分は直視できるだろうか。
自分は──これまでと同じ顔を、斎王に見せられるだろうか。
真紫の両目がエドの脳裏に浮かぶ。インク壺の底のような双眸。ひとたび顔を合わせてしまえば、斎王はきっと、エドを蝕む悪夢のことも悪夢によって抉られた傷も、一目で見抜いてしまうに違いない。
「(斎王は──顔相を読むのが得意だから──ボクの隠し事なんて一瞬で全部見抜いて──そうしたらきっと──)」
躊躇するうち、掴むべき背が雪に混じって遠ざかっていく。ほどけてどこにも繋がらなくなってしまった運命が、音もなく遠ざかって、自分を一人きりにしようとする。
「(いいや、そんなの知るか! 今更怖気付くな! これまで一緒に生きてきたんだろう、ボクは斎王の運命だったんだから!!)」
斎王!とエドは強く名を呼ぶ。
振り向くのとエドが背中に触れるのとはほとんど同時だった。黒い傘の合間から端正な顔立ちが覗く。痩せてやつれ気味ではあるけれど、それは間違いなく、エドの知る斎王琢磨そのものだった。
「久しぶりだね、エド」
「…………斎王、」
暗い青紫の髪が一房揺れる。
半年ぶりに見る斎王は美しかった。黒い傘を背景に差し込むオレンジ色の街頭はまるで後光だ。以前抱いてしまった死人だとか幽霊だとかいうイメージは大半が払拭されていて、そういった想像をしてしまった自分をひどく恥じた。
「……よかった。思っていたよりもずっと元気そうで」
「ああ。ありがとうエド。最近は少しずつ調子が良くなって来ているよ。自宅療養に切り替えたのが功を奏したらしい」
「そうか、それはなによりだ。嬉しいよ、久々に会えて。その、それで……」
ぐっ、とエドは息を呑む。
言葉が出てこず思考がフリーズする。何も言わないエドを斎王は不思議そうに見下ろした。真紫の瞳が僅かに揺れる。斎王は長い睫毛の隙間に追憶を湛え、自身の傘を半分エドのほうへ傾けた。
「エド、雪で凍えてしまうよ。傘も差さずに、今日は一体どうしたんだい」