エドの提案にも十代はうーんと首を捻る。もともと十代の身の回りは意味不明な事象で溢れているのだ、うまく言い表せなくて無理もないだろう。たっぷり三十秒ほど唸ったあと、あっとコルク栓を抜いたような弾んだ声が上がった。
「そうだ、オレ先月はヨハンのところ居たんだよ」
「ヨハン。ああ、あの」
「そうそう。ヨハンの故郷のほう、確か、グリーンランド? だったかな? に行ってて」
「グリーンランドなら当然電波は通じるじゃないか」
「それがさぁ、現地でヨハンと合流するなり突然、精霊界への扉が開いちまってよぉ」
大変だったんだぜ〜、と語り始めた十代の口調は、その大変さやトラブルに巻き込まれることをどこか楽しんでいるものだった。
そこからの十代の話はノンストップで、またも精霊界へ行く羽目になったこと、宝玉の樹を探して二人で奔走したこと、レインボードラゴンの背に乗ったことなどが具に語られた。エドは最初は適当に相槌を打つだけだったが、十代の話が予想外に面白く、つい真剣になって聞き込んでいた。
「それでなんとかソイツをぶっ倒して、なんとか帰ってきたってワケ」
一通り話し終えた十代は満足そうに笑い、どうだった、とエドへ目配せする。十分な冒険譚だった。このまま小説にすれば立派な児童文学にだってなるだろう。
エドはヨハンについて詳しいと言えるほどの交流を持っていない。だが、異世界にいたときに見た十代との絆は本物だったと、それが話の端々から改めて窺えた。
「少し、羨ましいな」
「……そうかぁ? エドは異世界来るのはもうやめといたほうがいいと思うぜ。ほとんどサバイバルだもん」
「冒険への羨ましさじゃないさ。それに、ボクはこう見えて意外とヤワじゃない。タフさには自信がある」
「じゃあ羨ましいって、何が?」
そうだな、とエドはそうっと息を吸い込み考える。答えを探して視線を遠くへ移すと、時計塔の大きな文字盤が目に留まった。
「……そうだな。どうしてそう思うんだろうな」
十二時ぴったりを指した状態で針は静止している。今まさにサマータイムが終わりゆく過程にいるためだ。巨大な文字盤はその面積のほとんどを持て余していて、無意味な空虚さを感じずにはいられなかった。
憧れたのは冒険ではない。
「……。十代、」
エドは文字盤へ寂然とした瞬きをひとつ送る。
「ボクの運命になってくれないか」
眼下に広がる街が明るかった。風の音しか聞こえず、まるで本当に時間が止まっているようだ。
十代はエドの申し出に困惑している。先程までの武勇伝語りの楽しさは瞬時に消え去り、目線は宙を彷徨っていた。どう答えていいかわからないのだろう。
『十代、やっぱり重いよ』
ふいに、十代の背後から知らない声色が聞こえた気がした。男とも女とも判別し難い丁度中間の声で、十代に憑く精霊だろうかと考えているうちに少しずつ空の高度が落ちていく。二人はふんわり建物の屋上に着地した。エドの足裏に久々に硬い感触が戻ってくる。
『だから嫌だって言ったんだ。僕が運んであげられるのはここまでだよ』
「ああ。無茶なこと頼んじまって悪かった。ありがとうユベル」
十代はなにもない空間と話している。その横顔が、これまでエドが見てきた十代の横顔のどれとも似ていなくて、今の今まで知る機会を得られなかったことになぜか悔しさを覚えた。
「エド」
飛ぶのをやめたことで、二人を囲む風は柔らかいものに変わっている。険しい向かい風も騒音もない。屋根から滑り落ちないように気をつけながら、十代は静かにエドへ問いかけた。
「お前、オレに運命になってほしいの?」
***
「珍しいな。観覧車に乗りたいってお前が言うなんて」
ゴンドラがゆっくりと周り、少しずつ少しずつ、地上の景色が遠くなっていく。
いけませんか、とエドは両膝をぴったりくっつけ直してDDの顔色を覗った。
「別に駄目ってわけじゃねえよ。ただ、やっぱりまだ子供なんだなと思ってな」
史上最年少でプロテストに合格した神童、エド・フェニックスのデビュー戦は華々しい結果に終わった。自分より二周りも上のベテランを相手取り、圧倒的なパワーで蹴散らして得た初の黒星。子供だからと舐めていた、彼の才能は本物だった、と対戦相手は試合後の敗北インタビューで悔しげに語っていた。
「DD、ボクまだ十歳になったばかりですよ。最近できたこの観覧車、実は乗ってみたくて」
「でも、十歳でプロになったな」
「…………いじわるを言わないでください。子供でいるのはだめですか?」
そうだなあ、とDDは胸ポケットからタバコを取り出す。たぶん禁煙ですよと言うエドの忠告を受け、DDはゴンドラの窓が開かないか試し始めた。運良く開く窓があり、ヒヤリとした冬の空気が流れ込んでくる。
その空気の流れに逆らうように、DDは白く濁った煙を吐き出した。