旅は道連れ世は情け─7.点と線 - 1/2

「薫くんや〜、元気を出しておくれ、頼むから」

「え〜……頼まれてもそう簡単に元気なんて出ないよ……」

「そう言わずに。次の現場へ移動なんじゃから。……薫く〜ん」

 露骨に気落ちしている薫に零は泣きつく。薫は普段は仕事とプライベートは切り離しているほうだが、一度崩れたバランスはそう簡単に戻るわけもない。本来なら避けるべきではあるが、零はマネージャーにも依頼して薫のスケジュールに余裕を持たせるようにしていた。気が抜けちまってる、と晃牙は怒っていた。

 溶けかけたスライムのように脱力している薫を引き摺り、どうにか車へ乗せる。零は困り顔で、薫に見つからないようにため息をついた。

 薫が体調不良で倒れた日、奏汰は再び姿を消した。その場に居合わせた千秋から話を聞くに、『あとはひとりでやる』と薫への伝言を残し逃走したらしい。薫ほど酷くはないが千秋も憔悴しているのは明白だった。学生時代の交遊関係を鑑みれば当然だ。

「(一体どこをほっつき歩いておるんじゃ……。我輩だっていい加減待ちくたびれて、本物のおじいちゃんになってしまうぞい。まったくもう……。六年前ならまだしも、いまの深海くんが何を考えておるかなどさっぱりじゃ)」

 車の窓ガラスに頭を預けてぼうっと外を眺める。

 季節は三月。暖かい日がちらほら増えてきたとはいえ、春の服を着るにはまだ早い。空の青が乾燥している。零はセーターの袖を伸ばし、冷えかけた指先を揉み合わせる。

「薫くんや」

「なに〜……?」

「……もうすぐ春じゃのう」

「ああ……。そっか、もうそんな時期かあ……」

 薫はぼんやりと首を持ち上げた。アッシュカラーの瞳は渇いていていまにもひび割れそうで、世界をそのまま反射しているだけだ。──いよいよ限界かもしれない。ここはひとつ、まとまった休みでも取らせるべきではないのか。いや、無闇に暇を与えたところで薫がこの状況から自力で持ち直せるとは思えない。

「(……まずいのう。我輩の手には負えなくなってしまった。『利用』するみたいで気が引けるのじゃが……かつて『お目付け役』を任せれていたあやつなら、なにかヒントくらいは貰えるじゃろう。もっとも、ヒントと言わず強引に解決しちゃいそうじゃけど)」

 

***

 

 蝉の抜け殻?

 ああ、埋めたなあ! よく覚えてるぞお、ずいぶん前のことだけどなあ。

 小学二年生の夏休みだった。『おはなし』の最中にこっそり抜け出した奏汰さんに気づいて探しに行った日のことだなあ。

 俺は信者じゃなくて『お客さん』の立場だったから、『おはなし』を聞く義務もなかった。小学二年生でまだまだ子供だったこともあって、ある程度なら逸脱した行動も許されたし。え? 昔から俺は『こんなん』だろうって? ははは、早熟ってことにでもしといてくれ。その頃の俺には大人を相手取る力もなかったしなあ。うってつけの人材だったんだろう。

 同い年で、普通の枠組みの中には入れなくて……ただ、お互いに端っこと端っこで対角線みたいなもんだから、それで奏汰さんにはよく八つ当たりされたなあ。『お目付け役』なんて呼ばれちゃいたが、そんな大層なもんじゃない。実態はただの、奏汰さんの話し相手だった。

 その日、俺はとにかく暇だったんだ。夏休みでなぁんにもすることがなくて。奏汰さんのおうちにはパパの付き合いでよく行っていたけど、とくに面白いものはなかったしなあ。夏休みの宿題も早々に片付けてしまっていたし。

 奏汰さんを追いかけたのは気まぐれだ。暇つぶしだった。奏汰さんのおうちの裏庭にはたくさん花が咲いていた。

 芙蓉に槿、百日紅。ピンクに白に濃い赤だ。奏汰さんの髪は明るい水色で目立つだろう? 追いかけるというほどでもなくあっさり見つかった。奏汰さんは裏庭で蝉を探して上を見上げていて……熱中症で倒れられたら面倒だなあと思って、呼び止めた。

 奏汰さんのおうちの人、ときどき話が通じないときがあって厄介なんだよなあ。だいじなだいじな『生き神さま』だから……。奏汰さんのおうちの人は奏汰さんを『息子』だとは呼ばなかった。少なくとも、そう呼んでる場面を俺は見たことがない。

 しかし、蝉の脱け殻ときたかあ。そんなに強烈に印象に残ることだったのかなあ……。前述したとおり、俺は気まぐれでやったんだよ。ただの暇つぶしで、そこにあるって気付いたから触って、木から剥がして、光に透かして、中を見た。当然だが中身はなくて空っぽで、脱け殻だなあって思った。そのとき裏庭では蝉が一匹鳴いていたから、そいつなのかもしれないなあと思いながら。そして、土に埋めた。

 書店でタイトルに惹かれて立ち読みした本を、もともとあった棚に戻すことってよくあるだろう? 棚の本を棚に戻す。土から生まれたものだから土に戻す。そういう感覚だった。

 そこにあるって気付かなければ触らなかったし、木から剥がさなかった。気付いてしまった後始末として……その場に捨て置いて野ざらしにするよりは、いいだろうかって思った。それ以上の意味なんてなかったんだよなあ。

 脱け殻を『生きてた証拠』だと言ったのも、奏汰さんが蝉を探していたからだなあ。蝉って鳴き声だけ聴こえるばかりで、本体はなかなか見つけられないだろう? たぶんこのあたりで鳴いてる、ってだいたいの方向は感じ取れても、木のずうっと上のほうにいたり景色に紛れていたりして……見つけられない。

 ということは、鳴き声が幻聴の可能性もあるってことだ。蝉の鳴き声は耳に残りやすいからなあ……ほうら、いまきみの頭の遠いところで蝉が鳴き始めただろう。幻聴だなあ? その幻聴と、本体の見当たらない夏の蝉と、どこが違うっていうんだあ?

 ──本物かどうかを聞き分けるコツは。近くに脱け殻がないか探すことだ。脱け殻があれば、それまで生きていたっていう証拠が、かたちとなって、確かなものになって信じられる。

 奏汰さんは気付いちゃったんじゃないかなあ。そこにあるって。そこに、脱け殻が落ちてるって。あるいは、脱け殻は至るところにくっついてるって目につくようになったのかもしれない。探そうって心構えで観察すれば、案外あっちこっちにくっついてるもんだからなあ。蝉の脱け殻って。そりゃあもう、数え切れないほどにさ。

 卒業から二年くらいたったころ。奏汰さんのおうちが少しぐらついてたみたいで。なんとかしてやりたかったけど、俺はもう『お目付け役』でもなんでもないし、第一むこうのおうちの人から出入り禁止って言われちゃってるからなあ。ん? ちょっと暴れすぎただけだからそんなに気にすることじゃないぞお。

 ともあれ、その出禁を無視して介入することもできたんだが……奏汰さんは『生き神さま』になった。すがる象徴が必要なんだって言って、自ら閉じ込められに行った。俺は引き留めたんだが、彼らを置いて自分だけ人間になるなんて、見捨てるみたいでできなかったんだろう。……奏汰さんは優しい子だからなあ。

 俺は、奏汰さんを人間にしてやりたかった。奏汰さんは生まれたときから『神さま』で……普通の子になれなかった。その確固たる例が『お誕生日会』だ。

 壁に輪飾りを吊るしてクラッカーを鳴らして、クラスの子を招待して……なんていう、普通のお誕生日会なんてやらせてもらえなかった。でも、奏汰さんが書いた招待状を回収したのは俺で……回収するようにおうちの人に言われたからそうしたんだが。なんでこんなことをさせるんだろうって思ったよ。身内だけで祝いたいから、ってことになっていたが、そんなの結婚式や葬式じゃあるまいし。誕生日くらい自由にさせてやればいいのに。

 それで、実際の『お誕生日会』はどうだったのかと言うと……詳細は省くが、あれは紛れもなく儀式の類いだなあ。神さまのため、神聖さに重きを置いた儀式だ。あんなの、当然だが部外者は呼べないだろう。祀られて、祈られて、飾られて……『おはなし』のときよりもずっと豪勢できらびやかな祭壇の上、簾と布で囲われた一畳分のスペースがあって、そこに座らされる。ケーキもクラッカーもなにもない。

 ただ、奏汰さんは『神さま』なんだなあ、って……そう思ったなあ。

 綺麗だった。毎年毎年、びっくりするくらい綺麗なんだ。ああでもここ数年は例によって出禁喰らってるから、見れてなかったけどなあ……。

 なあ、『神さま』でいるのって、どんな気持ちなんだろうなあ。

 小学二年生の夏休み、奏汰さんは俺に八つ当たりしながら言った。『かみさまになんか、うまれたくなかった』って。『それなら神さまを殺せばいい』と俺は答えた。

 ──おっと、そんな怖い顔をしないでほしい! 当時の俺たちは小学二年生だったんだぞお、共謀罪でも殺人教唆なんでもない。冗談だよ冗談。

 ……結局、俺には殺せなかったしなあ。神さまを殺すなんて人間にはできないからなあ……神さまを殺せるのは神さまくらいのもんだ。なあに、神殺しなんて珍しくもなんともない。

 昔から世界のあちこちで神さまは殺されてきた。なにせ神さまは死なないからなあ? 

 でも奏汰さんは『生き神さま』だろう? 生きてることに意味がある。生きてさえいればなにをどうしたって神さまなんだ。奏汰さんは逃げられないんだよ。

 だから。

 奏汰さんは、自分を殺すつもりなんじゃないかなあ。『生き神さま』を今度こそ殺しきって、終わらせて、生まれ直すつもりなんじゃないかなあ。未練ひとつ残さずに、綺麗さっぱり。

 まるで、蝉の脱け殻を埋めた場所から、新しい蝉が生まれ直してくるみたいに。

 

***

 

「話が長いよ」

「これは失敬! 誤解のないよう丁寧に伝えようと思っただけなんだけどなあ? 些かややこしい話だったから、仕方ないと思って受け入れてほしい! まあこういう性分なのも事実だけどなあ」

 斑は十数年前の出来事を、ほんの数分前に見た景色のようにあっけらかんと話した。咲いていた花の色も風の温度も余すところなく事細かに話すので、まるで一本の朗読劇でも聞いているような心地だった。戦々恐々としていたこちらが馬鹿らしくなる。

 薫は髪を上げ、憂鬱そうに息を細長く吐いた。

「薫さあん! そんな仏頂面でいるとせっかくの美人さんが台無しだぞお、ほらあスマイルスマイル……☆」

「……今の話聞いて笑えると思う?」

「ははは、やっぱり無理かあ」

 三月。斑は快活に笑い、頭上に広がる桜の枝を見上げる。

 あと一週間ってところだなあ、と蕾に向かって呟いた。枝には濃いピンク色の蕾が実り始めているが、すかすかで寂寥感を醸しだしている。春が寸前まで来ているとはいえ未だ夜は寒い。

「ううん、花見酒がやってみたかったんだが……残念無念」

 斑は枝の先に未だ見ぬ桜を想像し、遠い目をした。

「(朔間さんの計らいはありがたいけどさあ……)」

 零は駄目元で斑に連絡した。ちょうど日本に帰るタイミングだったということもあり、斑は『ついで』に薫の様子を見に来たのだ。というのも、本当は花見をするつもりだったのである。

 やっぱり俺は日本が好きだなあ、と斑は缶ビールを煽る。

「日本以外にも桜はあるんだが、やっぱり日本の桜が好きかなあ、俺は。深い意味はないぞお」

「……で? 俺にどうしろって言うわけ?」

「とぼけちゃいけませんよお薫さん。もう分かってるだろう、自分が何をするべきなのか」

 薫は言葉に詰まり目を伏せた。公園の木製ベンチに座り、斑から無理矢理斑渡された缶ビールを眺める。斑の長い独白が終わるのを待っていたせいで少々ぬるくなっているが、この外気温ではそんなのほとんど誤差だろう。

 びゅう、と強風が公園を通り抜け、やっぱり寒いよ、と薫は抗議の声を上げた。コートを着てはいるが、とにかく寒い。──アルコールを摂取すればこの落ちっぱなしの気分も少しは晴れるだろうか。

 薫はしばし迷い、完全にヤケクソでプルタブに爪をかけた。

「ああ冷たい! 胃袋から凍えちゃうよっ、こんな夜に冷たいもの飲むなんて尋常じゃない! あ〜寒っ!!」

「ははは、せめて桜が咲いてたら痩せ我慢もサマになったんだろうけどなあ。でもそれじゃあ手遅れになってしまうから……。薫さん」

「なに」

「奏汰さん、死ぬつもりだぞ」

 じゃり、と薫の足が砂を噛んだ。手に握ったビールが冷たい。こんな低い気温でも結露が起きるのが不思議で、じりじりと掌の内側を湿らせていく。
 斑は自分の缶ビールをベンチの端に置き、横に座る薫へ向き直った。

「……やめてよ」

「薫さんが止めに行くんだ」

「…………」

 斑はじいっと薫をまっすぐに見る。薫はそれを直視できない。風がびゅうびゅうと吹き、それぞれの長い髪が横へ流されていく。言葉がでてこないうえに、薫は自分の気持ちもわからなくなっていた。奏汰をまた一人にさせてしまった自責の念、自分への不甲斐なさ。悔しくて、自分に腹が立って、その気持ちに負けそうになる。

 薫は目を伏せたまま、斑の視線を振り払うように顔を背けた。

「……今の話を聞いて、はいそうですかって、すぐに納得なんてできないよ。俺、そういうのガラじゃないし……なんで俺なの。こういうの、俺じゃなくてもりっちの役回りでしょ」

「今回ばかりはだめだ。千秋さんの出る幕はない」

「なんで? もりっちが行けばいいじゃん、会いたがってたんだよ。あんなにさみしそうな顔をしてさあ。奏汰くんに置き去りにされた当事者なんだよ。何年もずっと探してて誰よりも真剣に奏汰くんのこと考えてたのに! 俺よりずっと辛いに決まってる……。真っ先に会うべきなのは俺じゃなくて、もりっちだよ。絶対そうだ」

「薫さん」

「だって俺なんて、奏汰くんになにもできてないんだよ。なにかをしたとか、ドラマみたいな展開や運命じみた出来事なんて、俺と奏汰くんのあいだにはなかった。ただ砂浜を歩いて海を眺めて、星見て、散歩して、クラゲの水槽見て……ほんとうに、それだけだったんだよ! ただの、たまたま一緒に同じことしてただけの、ひとりが寂しいからふたりのほうがいいからって、それだけの道連れだった……! ただの道連れで──ただの情で──奏汰くんの手を引っ張ったのは俺じゃない。俺はただ、そこにあった手を──」

「薫さん」

 斑の制止に薫は一瞬怯む。しかし勢いは止まらず、薫は栓が完全に壊れたのようにぼろぼろと泣き始めた。

「俺はただ、奏汰くんの手が冷たかったら寂しいから──俺もたいして手はあったかいほうじゃないけど、なにもしないよりはマシかなと思って──。人差し指で、星をなぞって、星を数えて、奏汰くんにも同じかたちが見えてたらいいなと思って、きっと同じ星をなぞってくれてると信じて──その時間を共有してただけで──……、幸せ、だった…………」

 

 ──あの夏。青色、砂浜、水平線。

 上下まっぷたつに割れた視界の上半分には星空、下半分にはさざなみの立つ水面。

 二人で一度だけデートまがいのことをした、名前のない星座に名前をつけて、星を数え明かした夜。

 

『かおる。ぼく、いまとっても「しあわせ」です』

『いつか「おしまい」のひがきたら。おもいだしてくださいね。きょうのこと』

『ぼくが、ぼくたちが、ここに、いたんだっていうこと』

『ぼくが、いきてたっていうこと』

『ぼくが、かおるといきてたっていうこと』

 

「幸せだったんだよ……」

 喉が痛くてうまく息が吐けない。それでも薫は、ぐずぐずに歪んだ声を振り絞り「幸せだった」と繰り返した。涙がみっともなく溢れ続けている。

 なにもしていないのに幸せで、一緒に生きてただけで、幸せだった。薫は腕で目元を隠しながら涙を拭う。

 

 ──やっと、思い出した。

 

 薫は花の咲いていない枝を見上げ、その向こうにあるだろう星を探した。当然だが春の空と夏の空では景色が全く違う。だが、なにかしら似たような点と線が見当たればいいかと思った。

「……今夜はくもりだなあ」

「……そうだね」

 分厚い雲が一面の夜空を覆っていて、月もなにも見えなかった。薫は脱力し、ベンチに背を預ける。持ったままの缶の中で飲み残したビールが揺れる。
 ビールを一口飲んだ。炭酸がちくちくと粘膜を刺激しながら、内側をすうっと冷たいものが通り抜けていく。少しばかり苦い。

 斑は缶を置いてベンチから立ち上がる。架空の桜吹雪を浴びるかのように両手を広げ、無邪気を装ってステップを踏み、薫へ振り返った。

「──奏汰さんは幸せ者だなあ! こんなに想ってもらえて。『ただの情』とは、これまた言い得て妙だなあ。恋でも愛でもなく、情と来たかあ。単純明快! ひとりがさみしいならふたりでいればいい! 旅路はそのほうが心強いもんなあ?」

 斑はつま先を軸にくるりと回転し、ちょうど薫に背を向けたタイミングで「いいなあ」と呟いた。

「……薫さん! 奏汰さんを、人間にしてあげてほしい! 『おまじない』を唱えるのだって、誰かが土を被せなきゃ成立しないもんなあ? ちゃあんと『あの子』が人間になれるように……『神さま』を殺せるように、『神さま』の部分だけをうまく殺せるように、生きててよかったって思えるように、これからも生きていこうって思えるように! なあに難しい話じゃないさ、走ればいい! 薫さんにならできるっ、むしろ薫さんにしかできないなあ?」

 夜の公園で男が踊る。酔ってるでしょ、と薫はぼやいた。さあてどうだろうなあ? と斑は悪戯っぽく口角を上げた。風が強く吹いている。風にあわせて降りしきるだろう桜吹雪は目には見えない。

 薫は目を閉じて鼻から深く息を吸った。わずかに、甘酸っぱい桜の匂いが混ざっている。開花はまだ先だけれど、確かに桜は育ちつつあった。去年は気付かなかった匂いだ。去年も一昨日も桜はずっとここにあったのに、どうして気付かなかったのだろう。そうしてきっと来年もさ来年も、ここにある。

「奏汰くんの居場所、わかってるんでしょ」

 斑がステップを踏むのを止めた。ジャンパーを羽織り直し、ベンチに座ったままの薫へその場から答える。

「ほぼ間違いなくここじゃないかって見当はついてるぞお。実は薫さんが不在のとき、こっそり自宅を調べさせてもらった。すまなかったと思ってはいるが、ちゃあんと零さんから鍵を預かってたやつだから、ピッキングとかじゃないぞお。まあ鍵開けもやろうと思えばできるんだが、さすがに人目につくだろう? ……奏汰さんの部屋の地図を見て、ピンと来た。印が集中しているくせにまだ訪れていない場所が一ヶ所、あるだろう」

 斑が口走る物騒な単語に引っ張られそうになるが、いまそれらは本題とは関係ないことだと薫はあの壁の地図へ意識を集中させた。海岸沿いを走る赤い線、水族館、薫が現在住むマンションと近くの銀杏並木。それらを結ぶ中心の場所──。

「……学校?」

 斑は「ご名答!」とわざとらしく拍手をした。

「奏汰さんは必ず学院に来る。学院の桜、けっこう見事なもんだっただろう? セキュリティがしっかりしてるのがウリだったが、桜ならフェンス越しにでも見れるからなあ。桜前線と照らし合わせながら張っといたほうがいいぞお。このタイミングを逃したら次はどこへ現れるか、さすがに予想は難しくなるからなあ」

 斑はベンチに置きっぱなしにしていた缶と、自分の荷物を回収した。自販機の横のゴミ箱へ缶を捨て「それじゃあ薫さん。あとは頼んだぞお」と言い残し、公園から去った。その背中がやけにがらんどうに見えたのは斑の体格が良いだけが理由ではないだろう。

 つむじ風のような男だ、と薫は缶の底に残っていたビールを飲み干す。開栓から時間が立っているせいか、もう炭酸が喉を刺激することはなかった。

 

***