旅は道連れ世は情け─4.あるいはひとつの終わり - 2/2

 奏汰くん。教えてよ。

 きみは、本当にひとを殺したの?

「──奏汰くん?」

 帰ると家中が真っ暗だった。玄関脇のスイッチを壁伝いに手で探り当て、照明を点ける。フローリングには点々と血飛沫が──なんてことはなく、ぞっとするほど冷たい空気が足首をかすめた。

「奏汰くん? いないの?」

 ──きみは、ひとを殺したの?

 それを聞こうと思ったのに当の本人がいない。どこをほっつきあるいているのだろう。暖房もなにもかもがスイッチを切られていて、まるで夜逃げでもされたかのように家はがらんと空洞になっている。

「(なんだか……嫌なかんじがする)」

 壁づたいに手探りで次のスイッチを探す。部屋がぱっと明るくなり、一瞬床に血の染みが落ちているのが見えたが──そんなわけがない。幻覚に決まっている。

 なんとなく、奏汰はもうここにはいない気がした。だがそれはあくまでなんとなくそう思っただけで確かなことではない。薫は空洞になった家で奏汰を呼ぶ。

「ねえ、いないの? まさかほんとに死んじゃったの? そんなわけないよね?」

「さて、どうでしょう?」

「か──」

「だってここは『あくむ』のなかですから」

 背後でドアが開いた。振り向けば、十一月中旬の季節にそぐわない半袖を着た奏汰が立っていた。八月の終わりのあの日、薫が貸した服だ。右手で耳にスマートフォンを当てている。

  意に、ズボンのポケットに捩じ込んだスマートフォンが着信音を鳴らす。画面には魚の絵文字。けたたましく静寂を打ち破ったそれは、薫が操作していないにも関わらず勝手に応答ボタンを押す。

「かおる。つれてってください。『きれいなばしょ』。『おもいでのばしょ』」

 目の前とスマートフォンと両方から奏汰の声がする。

 集音マイクを通してぐるぐると反響し、ぐにゃぐにゃと本来のかたちを保てなくなり歪んでいく。

 綺麗な場所、思い出の場所。

 海と星空、銀杏並木、水族館、クラゲの漂う水槽。

 さみしさを埋めるために大袈裟な言動をとってみたりして──。

 約束をすればよかった。

 約束をして、縛りつけて逃げられないようにして、そうすればさみしい思いをさせることもなかった。

 自責の念から薫の目の縁に涙が溜まる。

「奏汰くん、ごめん、俺が、俺が悪いんだ。いままで放っておいてごめん。お願いだから俺と一緒にいてよ、俺とデートしてよ! 六年分の穴埋めを俺にさせてよ! 俺に、謝らせて…!!」

 言葉が二重になり輪郭がぼやけていく。悪夢? これが夢なら全部夢のせいにしてしまえばいい。

 薫はフローリングに膝をつき、すがるように奏汰の足をつかんだ。ズボンの生地は妙にざらざらしていて土ぼこりに汚れている。──土?

「な、に、その格好……」

 奏汰の右手には大きなスコップが握られていた。持ち手が長く、皿の部分の面積が広い。一度に大量の砂を掻き出すための道具だ。奏汰は蒼白になった薫を見下ろし、もうこれは不要だと言わんばかりにスマートフォンを床へ投げ落とした。血溜まりに波紋が広がる。幻覚だ。これは夢だ。悪夢だ。

 奏汰はわざとらしく膝の砂を払い、慈悲のない声色で薫へ言い放った。

「うめてきたんですよ。『したい』を」

「『したい』を」

「かおるがいつまでも『いっしょ』にうめてくれないから」

「だって──俺は、怖くて──」

 真実を知るのが怖くて。知ったあとの未来が怖くて。聞かなかった。聞けなかった。

 奏汰が落としたスマートフォンは血溜まりの表面で浮かび、薫の世迷い言を反復する。言葉がブレる。世界がブレる。がらん、と奏汰はスコップの柄を放し、薫の前へかがみこんで目線の高さを合わせた。

「だから、ぼくだけでうめたんです」

 奏汰の土で汚れた手が薫の頭を撫でる。頭蓋のフォルムを確かめるようにゆっくりと撫で下ろし、そのまま量の手で頬を包み込んだ。全身から力が抜け、薫の手からするりとスマートフォンが抜け落ちる。

「かおると『いっしょ』にうめたかった。これは『ほんとう』ですよ。かおると『いっしょ』に、『きれいなばしょ』に、『おもいでのばしょ』に、いきたかった。かおると『いっしょ』にいきたかった。でも、だめなんです。おしまいなんです。かおる、すきですよ。おぼえてないんですか、かおる」

 ──綺麗な場所。思い出の場所。

 そこは海で、星空で、銀杏並木で。

 幾匹ものクラゲが漂い常に違う景色を作る、水族館の巨大な水槽の前で。

「(ああ、『死体』って。そういうことだ)」

 奏汰の手は土でざらざらしていて埃っぽかった。薫は意識に霞がかかったようにぼんやりと奏汰を見つめる。これが夢や幻覚の類かどうかなんて問題じゃない。

「おもいだして。なにがあったのか。さいしょからじゅんばんに。『みれん』をのこさないで」

 頬を包んでいた手が下へ降りていく。それはどくどくと脈を打つ首筋に当てられ、そのまま力任せに奥へ押し込められ──息が──。奏汰にとっては薫そのものが──。

「おもいだして。『みれん』をのこさないで。うまれなおすために」

 

*** 

 

 十二月。

「ねえ見て。けっこう綺麗じゃない?」

 道行く人はみな、肌の露出を一ミリでも減らそうと分厚いコートを着込む。街中がイルミネーションに彩られ、どこへ行っても一面LEDだ。

 奏汰は眠い目を擦り、道路脇で一時停止させた車から外の様子を覗き見た。数秒おきに電球の色が切り替わり、チカチカと神経に障る。だがそれらが一種の興奮材料になっていることも事実で、人々はクリスマスを堪能するために急ぎ足になっているのだとも受け取れた。この空気から逃げ切ることなど不可能で、それは二人とて例外ではない。

「『きれい』ですよね〜。うんざりするほど」

「ああ、やっぱりお気に召さない?」

「うーん、どこへいっても『にたようなけしき』としかおもえないので……。『おりじなりてぃ』がないんですよ。『ぴかぴか』させればいいってもんじゃないって、そうはおもいませんか?」

「そう言うわりには顔が緩んでるけどね〜。ほらっ、隙あり!」

 薫は身を乗り出して奏汰の頬をつまみ、ふにふにと柔らかさを楽しむように揉む。つまらなさそうにむすっとした表情の奏汰をよそに、薫は調子に乗って頬肉を揉み続ける。

「あうあう〜。もう『きげん』はなおりましたから〜」

「ん、よかった。じゃあ行こっか」

 薫はぱっと手を広げてみせ、にこにこと笑って誤魔化す。道路脇に一時停止させていた車を発進させ、窓ガラスを閉める。街なかのイルミネーションは車窓から眺める程度で十分だろう。探している場所はここではない。

 奏汰と『死体』を一緒に埋めに行くようになって一ヶ月。

 助手席に座る奏汰は口を尖らせ、揉まれすぎてヒリヒリと熱を持つ頬へ手の甲を当てていた。少し冗談が過ぎたかもしれない。

 クリスマスムードの街から脱出し、車は夜の海へと向かう。ビルの群れが遠ざかり、派手派手しい喧騒から離れていく。『死体』はいつも海辺に漂着しているのだ。

 信号が赤に変わりブレーキをゆるく踏む。薫はハンドルに手をかけたまま、ぼんやりと奏汰の横顔を眺めた。

「あのさ」

 今夜も『死体』を埋めに行く。

「……車、寒くない? 温度上げようか?」

「いいです。このおんどで。ちょうどいいので」

「そっか」

 青信号になるまでの沈黙がずいぶん長く感じられた。

 薫は海へ車を走らせながら、バックミラーにぶら下げたクラゲのストラップをちらりと見た。振動に合わせて触手が揺れ、このクラゲにとってこの車は海と同じく遊泳には適している。

 先日、二人で水族館へ行き直した。

 その再演は高校時代のものとは別の、もう二十年近く前の記憶だ。古く錆び付きかけた記憶。完全に錆び付いて蓋が開かなくなる前に、思い出せてよかった。ストラップを買ったのはその再演の一部だ。

 あのときもし二人が、偶然ではなく必然で来ていたとしたら。通りすがりではなく知り合いとして、友人として来ていたら、迷いなくこれを買っただろう。

「……俺はね奏汰くん」

「なんですか?」

「一緒だよ。奏汰くんと」

 外との気温差で窓が結露する。吐き出した息が一瞬だけ白い。通過する街灯が水に滲む。

「かおる。ずうっと、『いっしょ』ですよ」

 下り坂を曲がると、正面は真っ黒に塗りつぶされていて何も見えなかった。海だ。車を停め、バックミラーに提げたクラゲをつまみ上げる。

 今夜は何体目の死体になるのだろう。数えるのなんて無意味だ。なぜなら、死体は数えきれないほど無数に、次から次へと生み出されるのだから。

 
 
 


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