十月三十一日は天上院吹雪の誕生日である。
「みんな、今日は来てくれてありがとう! こんなにたくさんお祝いしてもらえるなんて、感動で胸がいっぱいだよ! お礼に一曲歌わせてほしいな。それでは聴いてください──」
合図に合わせて会場全体の照明を落とす。すぐさまスポットライトへ切り替え、壇上でウクレレを構える吹雪へと照準を合わせた。手伝ってくれれありがとう、とでも言いたいのか、ライトを操作する優介と亮へウインクが飛ばされる。
「あはは、よくやるよ、こっちを見るのは眩しいだろうに」
「まあ、あいつが楽しそうならいいんじゃないか」
特待生寮の談話室、二人は吹き抜けの二階廊下から吹雪を見下ろす。柔らかく弦を弾く音。吹雪のオリジナルソングに、女子生徒たちはうっとり耳を傾けている。
「サマになるねぇ」
「吹雪は歌が上手いからな」
スポットライトの光線が、空中の埃を巻き込みながらまっすぐ伸びている。その光線の手前こちら側で、優介は「いいなあ」とぽつりと漏らした。
「? 吹雪の歌唱力のことか?」
「そうそう、僕も歌が上手くなりたくて、ってそんなわけないよ。全然違う」
「じゃあなんだ。あいつが羨ましいのか?」
亮は怪訝そうに眉を顰めて優介の横顔を見遣る。
「別に。そういうのじゃないよ」
「……」
優介の横顔は一ミリも揺るがない。耳から後ろ半分には部屋に訪れた暗闇を背負っていて、その反面、照明機材から溢れ余った光が、優介の横顔や輪郭、眼球の膨らみを白く縁取っていた。
「嘘が下手だな。藤原は」
「…………」
亮の緩い微笑みに、優介はきゅっと唇を引き結んだ。ふうっ、と息を吐き、観念したように亮のほうを向く。
「丸藤はヘンなところで勘がいいなあ。そりゃあ、ちっとも羨ましくないなんて言えば僕の嘘だよ。でも全部がそういうわけじゃなくて」
「じゃあどういうわけだ? 吹雪はコンサートの最中だ、ここなら聞かれる心配もないぞ」
「ええ、どうしようかなあ。うーん……」
悩む優介を横目に亮は腕を組む。吹雪は弾き語りに集中しているようで、こちら側に気付く様子はない。眩しい明かりの中で煌々と歌を続けている。夢がどうとか愛がどうとか、真面目に聴くほどこちらが恥ずかしくなるような歌詞が散りばめられていて、亮はわずかばかり眉尻を下げて苦笑した。歌唱力とビジュアルの良さ以外のあらゆる面が拙いが、逆にその二つがそれ以外のすべてをカバーしているとも言えた。
亮の青い髪が一房、耳の横を滑り落ちる。
「吹雪は、いいやつだからな」
ああやって堂々とパフォーマンスできるのは天性のものだろう。亮は髪と同じ青い目でじっと階下を見下ろしている。しばらく無言の間が続き、二人は吹雪の小っ恥ずかしい歌を聴いた。
「そうだね。天上院はいいやつだから」
満足そうに演奏を終えた吹雪を、無数の拍手が迎える。
「聴いてくれてありがとう。今日はとっても素敵な一日だったよ。こんなに特別な日だったんだ、今日のことをずっと忘れないだろう。嬉しいよ! みんな、ありがとう!」
「大袈裟だな」
「本当にね。……ああいうことを平気で言えるから、天上院はすごいんだよ」
いいなあ、と優介は再び手すりに肘を着いて顎を乗せた。その様子に亮は漠然と、優介の言いたいことがなんなのかを理解した。
「まあ、その……誰にでも向き不向きがあるからな。藤原が吹雪みたいになる必要はない」
「最初から分かってるさ。僕はああいう振る舞いっていうか、ファンサービスっていうか……そういうのは出来る気がしない。きっと逆立ちしても無理だ」
「そこまで諦めなくてもいいと思うが。それに……」
そのとき、ばつん、と別のスポットライトが突如二人を照らした。えっ、と息を呑んだのも束の間、見下ろせば吹雪がしたり顔でこちらを指差している。
「そして我が親友二人にも! 今日のパーティーを成功させるためにたくさん準備してくれたんだ。亮、藤原! きみたちもありがとう! 愛してるよ!!」
「……それに、藤原まで吹雪のようになられると、俺が少し困る」
「わ、天上院、あいつ! こんなの、聞いてない、恥ずかしい……!」
いきなり注目を浴びて狼狽える優介の横で、亮は浅くため息をついた。自分たち以外にも吹雪は手伝いを頼んでいたのだろう。スポットライトの発生源を追うと、吹き抜けを挟んだ向かい側で女子生徒が二人手を振っているのが見えた。吹雪の追っかけで見たことがある顔だ。
「ボクはいい親友を持ったなあってつくづくそう思うよ。ああ今日は楽しかった! みんな、明日の亮の誕生日もよろしくね! 明日もとってもスペシャルな企画を考えているんだ」
ライトで照らされていることもあり、階下にいた生徒の何人かが亮の名前を呼んだ。祝ってくれるのは嬉しいが、吹雪のように気の利いた一言が返せるわけでもなくただ無言でいるしかなかった。
盛り上がり切れない亮とは裏腹に、吹雪は至極楽しそうに声を張り上げる。
「あーあ、毎日誕生日だったらいいのになあ! ……なんてね!」
そろそろ電気を点けていいよ、と吹雪は二人へアイコンタクトを送る。スポットライトを消して部屋全体の照明を点けるまでの刹那、優介はなにか天啓を得たような表情で固まっていた。
「……毎日が誕生日、か」
「藤原?」
「ううん、なんでもないよ。……ねえ丸藤。明日のきみの誕生日なんだけど」
暗闇の中でそっと、すれ違いざまに優介が囁く。
「僕、いいこと思いついちゃったかも」
くすくすと謎めいた含み笑いが、亮の耳の奥へ染み込んだ。
***