ばちっ、と吹雪は目を覚ます。いつもと変わらない自室の天井。窓からはカラッとした秋の朝日が差し込んでいる。
「あれ……さっきまで亮と裏庭に居たはずじゃ」
起き上がって記憶を辿ろうとするも、亮が最後の箱を開けようとしたところから先の記憶がない。ぷっつりと、まるで停電してそこだけ録画できなかったような感覚だ。
「(夢? それにしては、覚えているところはやけに鮮明だ。でも昨日どうやって帰ったのか思い出せない……)」
顔を洗い、身支度を整える。いまいち腑に落ちないが、自分の勘違いか、本当に夢だったのかもしれない。
今日の時間割を確認しながら特待生用の白いジャケットに袖を通す。この制服を吹雪は気に入っていた。オベリスクブルーの真っ青な制服も重厚さがあって悪くないが、この白と水色を基調にしたジャケットのほうが自分にはよく似合う。
髪を解き、少しだけワックスをつけた。うーん今日も美しい仕上がりだ、と鏡の前で満足げに決め顔を浮かべて、いつもと同じように部屋を出ようとした。
「(……なんだか嫌な予感がするな)」
ドアノブを捻ろうとしたところで手が止まる。昨日は部屋の向こうで女子生徒たちが待ち構えていて大変だったのだ。廊下の左右を埋め尽くすほどの大量の女子生徒に、今日“も”誕生日でしょうと口々に言われてプレゼントを浴びせられた。追われたり囲まれたりすることには慣れているものの、昨日のあれは異常だった。──貰ったプレゼントがすべて空っぽだったことも含めて。
「うわぁ。今日もか。まいったな」
鍵穴に目を押し当ててみれば昨日と全く同じ光景が広がっていた。ドアが開くのを今か今かと待ち構える大勢の女子生徒たち。全員手にはプレゼントを持っているようだ。どの子も吹雪の登場にそわそわしているのは普段の追っかけと変わりないが、挙動にどこか不自然さがある。あるが、その違和感を言葉にしようとするとその途端に霧散してしまうような、そんな違和感があった。
吹雪はクローゼットへちらりと目を遣る。四日前、自分の誕生日パーティーで使った吹き戻しと『本日の主役』たすきが雑然と置かれている。
ふと思いつき、ポケットからPDAを取り出して起動させた。画面に表示された日付は十一月三日。日付は問題なく進んでいる。漫画やアニメにあるようなタイムループかもと思ったが、どうもそれは違うらしい。
「(ボクの勘違いなのか? それにしても、一体何が起きているんだろう)」
いずれにせよ正面から部屋を出るのはやめたほうがいいだろう、と吹雪はバルコニー側から脱出することにした。
「よっ、と」
すぐそばに生えていた木へ飛び移り、するすると地上へ降り立つ。亮も巻き込まれていないだろうか、うまく脱出できただろうかと気になったが、昨日見た『本日の主役』と青の三角帽子を被った姿を思い出し、まあ後回しでもいいなと思い直した。堅物な亮のことだ、たまにはああやって浮かれた格好をするのもいい気分転換になるに違いない。
「(この島にいると時々変なことが起きるからなァ。温泉で見たあれは湯気の幻覚かのぼせただけだろうって亮は言ってたけど、いまいち納得できないんだよね。……本当にデュエルモンスターズの精霊だったりして)」
中等部でこの島に来てからというもの、うまく説明のつかない現象に巻き込まれることがあった。昨日から続くこの異常も何か関係があるのかもしれない。
「(そういえば、藤原はどうしてるかな)」
藤原優介。
『プリンス』『カイザー』と並び立つ、デュエルアカデミアが誇るもう一人の天才で、二人の親友。
彼は魔法が使えるらしい、という噂を、吹雪は耳にしたことがあった。その真偽について本人にそれとなく話を振ったところ、彼は少し考えてから意味深に微笑み「秘密だよ」と答えたのをなぜだかはっきり覚えている。
「(この前の温泉のときも、ボクたちに見えないものが見えてそうだった。いいや、思い返してみれば藤原は普段から……)」
あの紫色の猫目は、この世ならざるものを捉えているのではないか。時折漏れる独り言も、どうかしたかいと訊くとなんでもないよと誤魔化される素振りも、振り返れば彼の言動は謎に満ちすぎている。魔法が使えるのではと噂されるのもさもありなんといったところか。
「やあ天上院。遅かったね」
「! 藤原」
寮へ戻る気にもなれずぼうっと歩き回るうち、吹雪はいつのまにか食堂のテラス席へ来ていた。優介はテラス用の白い丸椅子と丸テーブルに着き、悠々とした仕草でショートケーキを頬張っている。
「藤原。そこで何をしているんだい」
「何って。ケーキを食べているのさ」
「見れば分かるよ。こんなに朝早くから? さすがにカロリーオーバーじゃないかい」
テーブルには紅茶ポットと一緒に、食べ終えたのだろう食器が三枚ほど重ねられている。甘いものがそこまで得意ではない吹雪は、優介が摂取したであろう砂糖の量を想像してうっすら気分が悪くなった。
「朝の糖分補給も兼ねてるんだ。天上院もどう?」
「いや、ボクはそういうのはちょっと」
やっぱりか、と紫の目が細められる。
「まあ折角だし座りなよ。カロリーなんて心配しなくていいんだ。これは全然お腹に溜まらないんだよ、いくらでも食べられる」
「でもそんなに食べたら飽きるだろう。気持ち悪くなったりしないのかい」
言われるがまま吹雪は向かいに座る。いつのまにか用意されていた吹雪用のティーカップへ、優介は紅茶を注ぎながら強く断言した。
「しない。僕のためのケーキで気分が悪くなることなんてない。絶対に」
「……」
吹雪は無言で、湯気の立つティーカップを受け取る。
優介は『本日の主役』たすきを胴に掛けていた。よく見れば肩や若草色の髪の端に、クラッカーから飛び出したような紙吹雪と紙テープが引っかかっている。それを指摘すると、優介はそれを払いのけながらどこか満足そうに微笑んだ。
「いいだろう、これ」
「これって、なにが」
「……まだ気付いてない? それならまあ、またあとでいいや。冷めないうちにお茶を飲みなよ。砂糖とミルクは要る?」
「ストレートで構わないよ。ボクは甘くないほうが好きだから」
「ああ、そうだよね。知ってる。天上院はそういうやつだ」
優介はシュガーポットを開け、氷砂糖をざらざらと自分のカップへ投入していく。そんなに入れても溶け切らないだろうと吹雪は思うのだが、代わりに温かいだけの紅茶を啜った。知っているのならなぜ聞いたんだという小言も合わせて飲み込む。
「今日は丸藤は一緒じゃないの?」
「亮? 亮は今朝はまだ見てないよ。まだ部屋にいるんじゃないかな。ところで聞いてよ藤原。今朝、部屋を出ようとしたら廊下で女の子たちが待ち構えててさ」
「あはは、また? 天上院が追っかけ回されるのはいつものことだろう」
「それがちょっとヘンなんだよ。目が虚ろ、っていうのかな。なんだかみんな様子がおかしくて」
「うんうん。それで?」
「昨日の朝も同じように出待ちされてたから、ちょっと困っちゃうなと思って。今日はバルコニーから抜け出してきたっていうわけ」
「ああ、通りで今日は手ぶらなんだ。昨日が大変だったから」
「……?」
「? どうかした?」
いや、と吹雪は口先を濁らせる。
優介は相変わらずケーキを食べ進めながら相槌を打っている。機嫌も良さそうだし、激甘の紅茶を飲んでいるのだって普段と同じだ。
それなのに、どうしてか、なにかが引っかかる。
皿に残ったケーキの最後の一切れへフォークを刺し、優介はにっこりと口角を上げた。
「天上院、続けて?」
「いや……その、……」
違和感を言い当てようと目が泳ぐ。吹雪が無言でいるうちに、優介は大袈裟にわざとらしいとも言える仕草で、最後の一口を含んだ。口の端にスポンジが掠ってクリームがわずかに付着する。
「女の子たちはみんなプレゼントを持ってて……昨日は『今日も誕生日』って言われたんだ。まるで毎日が誕生日みたいな言い回しで……それって、おかしい、だろう?」
吹雪は一語ずつ言葉を絞り出す。秋らしい、少し冷えた風がカサカサと周囲の木々を揺らした。
「だってボクの誕生日は四日も前に終わってるんだよ。こんな、延長戦みたいな話、あるわけない」
「……ありえないって思う? 本当に?」
「え?」
瑞々しい若葉のような緑の髪が風に持ち上がる。表情は静かなまま言葉尻にだけ、こちらを不安にさせる要素が含まれているように感じた。
瞬間、じわり、と優介の顎下がオレンジ色の明かりで染まる。
「! そのケーキ、」
「今日も誕生日だよ。僕たちの」
優介はマジシャンや占い師を思わせる手つきで恭しくその皿を持ち上げた。ついさっき食べ切ったはずのケーキが、また出現している。クリームと苺で飾られたショートケーキの上には、ミニサイズのチョコプレートと火の着いた蝋燭が一本。
驚きのあまり吹雪が反射的に椅子を後ろへ引くと、多数の女子生徒たちに背中を囲まれていることに気付いた。いつのまにか見つかっていたらしい。皆一様に手にはプレゼントらしき包みを携え、貼り付けたような笑顔でこちらを見下ろしている。
「……ハハハ。ちょっと勘弁してほしいナァ。ねえ、このボクが言うなんて相当だよ。ふざけすぎだよみんな」
一人の女子が一歩前へ出た。それが合図だったかのように、わっ、と腕があらゆる方向から伸びてくる。
「吹雪さま、お誕生日おめでとうございます!」
「誕生日おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
「……っ! えっと、その、ありがとうみんな。でも」
座ったまま取り囲まれてしまい身動きが取れない。押し当てられるプレゼントにたじろいでいる間に、また『本日の主役』のたすきを掛けられてしまった。頭にはぎらぎらメタリックに光る三角帽子。これではなし崩し的に昨日と同じだ。
「吹雪さまたちのお誕生日は毎日来るんですもの、お祝いしなくっちゃ!」
「ええ、昨日も一昨日もその前も、毎日がお誕生日!」
「今日も明日も明後日も、その翌日だってずっと!」
「毎日が特別なお誕生日! だからおめでとう、おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
女子生徒たちはうっとりと恍惚感に満たされた様子で吹雪へ迫り、プレゼントを押し当てては歌い上げる。昨日と同じく中身が入っていないのだろうそれらはとても軽く、しかし軽いからと言って無限に持てるわけでもない。受け取れ切れなかったそれらが草の上へ落ちる。
「わ、ええっと、どうしようこれ。藤原! 呑気に眺めてないで助けてよ!」
「助ける? どうしてさ。誕生日はなんでも嬉しい日なんだろ」
「なんでもって、いや、本当になんでもいいわけじゃないんだ! こんなのおかしいって思わないのかい!?」
「おかしい、ねぇ。そうかなあ」
優介は皿を片手に持ったまま立ち上がる。直後、雲が太陽を遮ったせいであたりはサッと薄暗くなった。ケーキに刺さった蝋燭の炎がゆらめいていて、それがまるでなにか魔術的な儀式の手順を思わせた。
「……藤原、きみ、もしかして本当に魔法が使えるの」
「それ、前も言ったよ。秘密だって」
「おかしなことが起きているのはきみのせい?」
「…………」
ひゅっ、と通り抜けた木枯らしが、ほとんど包み紙だけのプレゼントを横へ転がしていく。不意に優介の髪に引っかかっていた紙吹雪が剥がれ落ち、静かに言い聞かせるような声色が響いた。
「だってきみが、天上院が言ったんだろう。『毎日誕生日だったらいいのに』って」
***