あれ以来、隣の部屋はそのままになっている。
あいつの私物はもとから少なかった。鞄ひとつに納まるものしかなくて、必要最低限の着替えくらいしかそれらしきものは持ち込んでいなかった。恵も私物は多いほうではないが、一度だけちらりと見えたクローゼットはがらんどうもいいところで、極端な物の少なさに、違和感があった。朗らかでさっぱりとした人柄とそぐわないのだ。もっと多くのものと関わりがあってもいいだろうに、意外だと思った。壁には誰だったか忘れたが、有名なのだろうハリウッド女優のポスターが一枚。それだけだ。完全な空っぽではない。
そこで人間が生活していた痕跡が、中途半端に残っている。
あいつの部屋はいつ片付けるのか疑問に思っていたが、それを口にするのもなんだか憚られて言い出せないままでいた。もう死んだのだから、と非情に割り切ってしまうことのようで、自分は案外繊細だったのだな、とどうでもいい考えに逃げた。野薔薇も似たことを考えているだろう。
だが隣の部屋から壁を伝って、蔓延ってくるのだ。曲がりなりにもあいつはここで生きていたという匂いが。
正体は虚空でしかないと分かっていても、いつしかその虚空に、恵の部屋も覆い尽くされるのだろう。それは不可避で、不可逆だ。主(あるじ)が戻りでもしない限り。
せめてこれが他者を害する呪いにならぬよう、恵は毎晩、唇を静かに結んで眠りに落ちる。