『──おめでとう。おめでとうございます』
『今年もお元気で。ご無事に過ごせますように。我らが生き神さま』
祝辞が嬉しくないわけじゃない。お祝いされるのは誰だっていつだって、いくつになっても嬉しいものだ。
『どうぞ健やかに』
彼らが望むのは象徴だ。仕組み、囲い、余計なものに触れさせないように育てる。思惑通り深海奏汰は立派な象徴として、生き神としての機能を果たしていた。表向きは。
生きた心地がしなくなったのは、小学二年生の誕生日のこと。
毎年恒例の『おたんじょうびかい』。学校で、クラスの誰かが誰かを『おたんじょうびかい』に呼んでいる場面を遠巻きに見た。ぼくは呼ばれなかったけど。招待状を手渡して、絶対来てね、と言い、絶対行くよ、と笑っていた。どうやらそのやりとりは一般的で、クラスの子にも『おたんじょうびかい』に出席してもらうのはおかしいことではないらしい。
「(『くらすのこ』たちも、よんだらきてくれるかな)」
次のぼくの『おたんじょうびかい』は、クラスの子も呼ぼうって。そう思った。
夏休みに入る前にお手紙を書いて。一ヶ月以上も先だけど、来てもらうにはどうすればいいだろうって真剣に考えた。
わくわくしていたんだと思う。
だって『おうち』には大人たちばっかりで、同い年の子なんてほとんどいなかったから。時々、親に連れて来られているのだろう『こども』を見かけるときもあった。けれどそういう子たちには会わせてもらえなくて、ぼくは壇上の奥で座っているだけ。
御簾の内側から覗き見たその子は、蝉の死骸を見下ろすような目付きでぼくを見ていた。生きているのか死んでいるのかわからない、とでも言いたげに。
『おうち』には代わる代わるそういった目付きの子がぼくを眺めに来た。大人たちはそういった目ではぼくを見ないのに、親に連れられた『こども』に限って御簾のぼくをそうやって見据えるのだ。
学校のない夏休みのあいだはたくさん『おつとめ』をしなきゃならない。『おはなし』を聞くために集まった人々の中に、親に連れられている『こども』を何人か見かけた。今日もまた蝉の生死を問うような視線で見られるのかと思うと、うんざりして。
「(ぼくはここにいるのに。しんでないのに)」
『おつとめ』からこっそり抜け出した。すだれや布で仕切られ囲われた壇上は、じっくり凝視しない限り中の様子など分からない。おうちの人が論説をしている最中、奇跡を実演している隙に御簾から脱出し、裏庭へ逃げた。
ふと、花の咲く暴力的なまでの鮮やかさが充満する中庭で、一匹の蝉が鳴いていた。
くっきりと輪郭を持った鳴き声が耳へ貼り付き、意識が蝉にのっとられる。百日紅や槿の木、壁を見上げてみるが蝉本体の姿は見当たらない。夏の日差しが眩しく、目がくらみ汗がじっとりと滲む。蝉の鳴き声だけがやけに元気だ。
「(いきてるじゃないかですか。ぼくは)」
「奏汰さあん、こんなところにいたのかあ」
茂みと花を掻き分けて彼が顔を出す。探しにきたんですか、と問うとそれが当然だと言わんばかりに胸を張られた。
この子はいつも鬱陶しく絡んでくる。それが彼に与えられた役目なのだろうが、ことあるごとに「おれはお目付け役だから」と予防線を張ってくる態度が気に入らなかった。今回も例外なく、そうだ。
「だめじゃないか、勝手に抜け出してきたりしちゃあ」
「さがしてくるように、いわれたんですか」
「言われなくても探しにきたけどなあ」
帰ろう、と手を差し出す彼を無視し、蝉の本体を探すのに集中する。太陽がまぶしくて頭がずきずきと痛み始めた。この中庭のどこかで蝉が鳴いているはずなのに、全く見つけられない。
「奏汰さあん、はやく戻ろう」
「まだいやです」
「そんなこと言ったってなあ……。奏汰さんのかわりにおれだけ怒られるように話を創るのもできるが、まどろっこしいだろう? 『おはなし』が終わってバレてしまうぞお?」
彼が言い終わらないうちに、くら、と脳が揺れ、その場にしゃがみこんだ。彼がすぐ駆け付けて顔を覗き込む。余計なことなんてしなくていいのに。と、しゃがみこんだ足元、百日紅の木の根本に、蝉の脱け殻が一匹くっついていた。
「脱け殻だなあ」
「でも、これじゃないです。さがしてたのは」
頭上ではいまだに蝉が一匹鳴き続けている。彼は横から腕を伸ばし、傷つけないようにそうっと脱け殻を剥がした。軽くて小さなそれが光に透ける。
「奏汰さんはこういうのに興味はないのかあ?」
「べつに……。おさかなさんのほうがすきです」
「そうかあ。おれは嫌いじゃないぞお。『一寸の虫にも五分の魂』って言うくらいだし」
彼はけらけらと屈託なく笑った。蝉がうるさい。
「脱け殻だって、生きてた証拠だと思うんだよなあ」
「しょうこ」
「昔の姿がこれなんだろう? ものとしてかたちが残ってるだけいいじゃないか。昔の姿なんて誰も覚えちゃくれないんだから」
「……あなた、まだ『しょうがくにねんせい』ですよね?」
「そういう奏汰さんだってそうだなあ」
不意に蝉が鳴き止む。なんとなく彼から蝉の脱け殻を受け取り、自分も同じように光にかざしてみた。薄い殻は茶色く透明で、蝉の造形を余すところなく型どっている。当然のように中身はからっぽだ。
「鳴き声が聞こえるってことは生きてるってことだからなあ。怖がらなくてもいいぞお」
「……ぼくはあなたがきらいです」
「おおっと、厳しいなあ! さて、そろそろ戻ろうかあ。そうだ、それ。集めたりしないなら元の場所に戻そう」
脱け殻を渡すと、彼はそれを百日紅の根本へ置いた。軽く土を堀り、そこへ脱け殻を埋めて土を被せ直す。まるで簡単なお墓のようだ。
「……『ぬけがら』ですよ、それ? 『おはか』なんて、へんですよ」
「これはお墓じゃないぞお。ちょっとした『おまじない』だ」
彼は手の土を払い立ち上がる。見つかる前に戻ろう、と目線で催促し、奏汰もしぶしぶ立ち上がった。
「土から出てきたものがちゃあんと土へ帰れますように。土へ帰って、生まれ直せますように。ってなあ」
***
小学二年生の八月三十日。『おたんじょうびかい』当日。『くらすのこ』は誰も来なかった。
『奏汰さまの独断ですので』
『奏汰さまのための神聖な儀式ですので』
たくさんの子に来てほしいなんて、他人に期待して『ふつう』に憧れたのがばかだった。生まれたときからふつうじゃなかった。ふつうになんて憧れちゃいけなかった。
「しっててやったんですね?」
「ははは、やっぱりバレたかあ」
夏休みに入る前、招待状を出したあと。招待状を取り下げるようおうちの人が彼に回収を頼んだんだって。だから『くらすのこ』に渡したはずの手紙が、うちにある。何通もの手紙が未開封のまま棚の奥へしまいこまわれていて、悔しくて涙が出た。
「なんでですか? なんで、ぼくの『おたんじょうびかい』は『ふつう』になれないんですか? ぼくが『かみさま』だから? もし『かみさま』じゃなかったら、『ふつう』の『こども』になれてたんですか? 『くらすのこ』とおなじように、『ふつう』の『おたんじょうびかい』ができてたんですか? ぼくは『かみさま』になんて、うまれたくなかった!」
手紙を彼に投げつける。四角い紙がばらばらとぶつかり床へ落ちた。彼は棒立ちでされるがままに黙ってそれを受け止めていて、よけいにイライラした。当たり散らしてもどうにもならないのに、そのときはそうやって気持ちを吐露する方法しか思いつかなかった。
「『たんじょうび』なんて、きらいだ……!!」
──ぼくは『生きてる』ことに価値があって。死んでしまったら価値がなくて。死なせないために生かされている。
ぼくの命はぼくのものじゃなかった。
『奏汰さま。我らが生き神さま』
──祈られても、ぼくはなにもできないのに。
「ぼくじゃなくても、いきていればだれでもいいのに……! なんで、なんで『ぼく』が……!!」
「じゃあ、奏汰さんが神さまじゃなくなればいい」
崩れ落ちて泣くぼくの近くで彼がしゃがみこみ、じいっと目を覗き込んでそう言った。蝉の脱け殻を土に埋めたときと同じ目付きだった。あのときもそうやって、無感情に事実のみを捉える目付きで、彼は脱け殻を埋めていた。
しかし『おまじない』と唱えたときだけは、脱け殻の向こうに何か別のものを通して見ていたように思う。
──ぼくも、脱け殻と同じなんだろうか。
「……どうやって?」
百日紅の根本へ埋めた脱け殻は──生まれ直すことができたんだろうか。
それは魂の残り香でしかないのに。生まれ直すもなにも、ただの生きていた証拠でしかないのに。
「……俺にはまだできない」
「まだ? ……『みらい』にはいつか、ぼくは『かみさま』をやめれるんですか?」
「……ごめんなあ」
彼は視線を足元へ落とし、散らばった封筒を拾って腕に抱えた。この子はいつもそうだ。そうやって意味深なことをちらつかせては、はぐらかす。
「まだできない」と言ったくせに、結局ぼくはずっと『かみさま』のままだった。
──それなら。
『おまじない』を唱えてもらえないなら、自分で唱えるしかない。
だから、ぼくはぼくを殺そうと、『かみさま』を殺そうと、決めた。
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