十月の末。秋。
乾いた空気が頬を撫でる。いつもと違うスーパーへ行ってみたくて、散歩がてら二人で並木道を歩いていた。薫が「寒くなってきたね」とぼやけば「もうすっかり『あき』ですね」と奏汰は返した。
街並みはすっかりハロウィンムードになっていて、カボチャや幽霊のモチーフに混じってあちこちでコウモリモチーフが飛び交っている。店内BGMとしてアンデッドの曲も流されていて、奏汰がいちいち反応するのが薫には嬉し恥ずかしくてくすぐったかった。数年前にコーラスとしてゲスト参加しただけの別ユニットの曲にも反応してくれるのだ。シンプルに、照れてしまう。
薫の仕事が休みの日には、奏汰と買い物に行くのがお決まりになっていた。その日の夕御飯のメニューを相談しながら野菜と肉、魚を買う。作り置きができるもの、傷みが早いものなどをそれぞれ考慮して数日分の食料も揃えるのだ。ここ二ヶ月近く、この買い出しが小さなデートのようだと二人は感じていた。
今週はどうしようか、と薫は尋ねる。
「ふふ、『こんしゅう』は『すぺしゃるめにゅう』をよういしてますからね」
「スペシャルメニュー?」
「ええ。だって、『こんしゅうまつ』はかおるの」
「誕生日?」
奏汰は嬉しそうに微笑んだ。目尻が丸く下がり、口角が上がる。見ているこっちまでつられて笑顔になってしまう天性の笑顔。
十一月三日は薫の誕生日だ。
「お祝いしてくれるの?」
「ええ、もちろん。ろくねんぶりですし。『おいわい』されるのはだれだって、いくつになってもうれしいものでしょう?」
水色の髪がさらさらと風になびく。スーパーの袋を二人で分配して持ち、並木道を通って帰る。こんなところに銀杏があるなんて知らなかった。まだ葉は緑色だがところどころ黄色に色づき始めていて、もうじきフリルのように通りを飾ることだろう。
「……ねえ。いっこだけ、リクエストしていいかな」
「いいですよ〜。かおるの『たんじょうび』ですもん。『しゅやく』はかおるなので」
奏汰は柔和に答える。
もうあの夏の終わりから二ヶ月近くになる。奏汰にあの頃の寂寥感は一切感じられず、無理をして笑っているようにも見えない。
「(少しは優しくできてるのかなぁ)」
「あのね。俺、ケーキ食べたい」
「けーき」
「うん、そうケーキ。買ってきたやつでいいよ。ケーキじゃなくてもいい。ホットケーキでもいいな。甘くてクリームが乗ってて、それっぽかったらなんでもいいよ。……駄目かな?」
──ハッピーバースデー、薫──
──甘いものが好きだった。家族全員でケーキを食べた。
──幸せだった。
「いいですよ。けーき。じゅんびしましょう」
「ほんと? ……嬉しいなあ」
奏汰はレジ袋を片手へ持ち替え、「えい」と空いた手で薫の頬を突ついた。やけに力強く、頬がえぐれて首がねじれる。薫もふざけて「ぐえー」と声を出し、おかしくて思わず笑った。
「あれ、この銀杏、なくなっちゃうんだ」
首がねじれた先で、銀杏の木に小さな看板が下がっているのに気付いた。
「『電柱工事のため十一月末で銀杏並木は撤去致します』だってさ」
「ええ、もったいないですね〜……」
「うーん、こんなに立派なのにね……」
よく見れば並木にあるすべての幹に看板がかかっていた。細い紐でくくりつけられていて、粗末にひらひらとはためいている。雨風に打たれたのであろう、あちこちに茶色い染みが目立つ。
「十一月末って……もうすぐじゃん。紅葉が終わったらすぐだよ」
二人は立ち止まって木々を見上げる。大きく枝を広げた銀杏の木。ふいに、頭の上に黄色く色づいた葉が降ってきた。奏汰は手を伸ばしてそれを捕まえる。
「こういうの、『きゃっち』できると『ねがいごと』かなうんでしたっけ」
「あ〜どうだろうね? ……でも、お願いしてみるのもいいんじゃない?」
奏汰はそれを光にかざして眺める。親指の腹でなぞれば柔らかな葉脈が刻まれているのを感じられた。そうですねえ、と奏汰は少し考え、くるくると銀杏の葉を指で回した。
「かおるが、このいちねん『しあわせ』になりますように」
ざわざわと風が髪を撫でる。
「……なんか、ありがとね」
「いいえ〜、かおるのためなので」
「……たまにはこの道通るのもいいかな。ああでも切られちゃうんだっけ……」
薫はなんとなく恥ずかしさを覚え、奏汰から目線を外した。足取りが無意識に早くなる。
「あれぇ、かおる、てれちゃってるんですか?」
「なんでもないよ〜、ほら、帰ろ。はやく」
いまだ緑色が目立つ銀杏並木を二人は歩いていく。
***