袖擦り合うのも他生の縁

「もしもさぁ」

 奏汰の背中へ薫は呼び掛ける。青暗い館内は水槽の照明のおかげでほの明るく、まるでクラゲ自身が発光しているかのようだ。奏汰は水槽のガラスに片手をついたまま、ソファーベンチに座る薫へ振り向く。

「もしも?」

「……もしも、俺たちが、もっと早くに出会ってたらどうなってたのかなーって」

 薫は喋りながらなんとなくベンチに座り直した。

 ここの水族館は居心地がいい。適度な間隔で配置されたソファーベンチは、来館者が見歩くのに疲れないため、という配慮に加え、水槽をゆっくり楽しんでもらうため、という二つの意図があるのだろう。薫はいま、その両方を味わっていた。足首をぐるぐる回しながら、目の前の水槽と奏汰をぼうっと眺める。奏汰はきょとんとした顔をして、不思議そうに答えた。

「なんでそんなこときくんですか?」

「ちょっと気になっただけだよ。ほら、むかし、俺たち子供のころにすれ違ってたんでしょ。ここで」

 クラゲの水槽は時間によって照明の色が変化する。青から緑へ、緑から黄色へ。オレンジ、赤、紫とゆっくり時間をかけてグラデーション的に流転し、やがて青へ戻っていく。その間もクラゲはふよふよと水中を不規則に漂い続けるのだから、一瞬として同じ景色は存在しない。

 深いことを考えずにぼうっと座って眺めるには最適の場所だと、薫は思う。

「そのときさ、ただの通りすがりじゃなくって、知り合いとして……友達として来てたら、いまごろどうなってたのかな~って」

 薫の疑問に、奏汰は少し悩んで顔を水槽へ戻した。無数のクラゲが漂うなか、ためしにある特定の個体を目で追ってみる。ふわふわ、ふよふよと漂い、ときには浮上しかけ、ときには沈んでいく。別の個体と接触することもあるが、お互い何事もなかったように離れ、別々に漂流を続けていく。

 水槽の前に立つ奏汰と、薫の座るソファーベンチの間を子供がふたり走り抜けた。小学一年生前後ぐらいの子供だ。声と足音に釣られ、薫も奏汰もその方向へ首を傾けた。すぐさま後方から両親と思しき大人がふたり現れ、館内を走るなと穏やかに注意をする。だっておみやげが早く買いたいから、と子供の片割れが曲がり角を指した。順路の立て札はミュージアムショップを指し示している。この水族館の最後のコーナーがこのクラゲの巨大水槽なのだ。

 奏汰はその家族連れが角を曲がっていったのを見守り、柔らかく答える。

「『ともだち』としてきてても、きっと、いまごろは『ともだち』じゃなくなってたとおもいます」

「それはどういう意味で?」

「『そのまんま』のいみですよ。ずっと『ともだち』でいるのって、けっこう『むずかしい』ので」

 ふうん、と薫は顔の向きを正面に戻した。奏汰の表情、主に目元と眉のあたりは奏汰が困ったときにするかたちのそれだ。特定の誰かのことを言っているのかもしれないが、きっと自分の知らない人のことだろうな、と薫は漫然と感じた。

「その当時は友達でも、いま友達かはわかんないって? うーん、まぁそういうのは往々にして珍しくないことだけどさ~。わかんないじゃん、そのあともう一回友達になるかもしれないし。そういう未来があったっていいよ」

「『よりをもどす』ってやつですか?」

「ははは、友達の場合でもそう言うのかな? どうだろうね~。でもそういうのもありでしょ」

 奏汰は再び目の前のクラゲを見た。先ほどまで目で追っていた個体は、他と混じってわからなくなってしまいどれがどれだかわからない。ぼんやり上を覗き仰げば、浮遊するクラゲたちが天へ昇っていく最中だった。ただ水面付近が明るく白っぽいだけだとは理解しているが、向こうに別の世界があるように思えて(実際、飼育員が水槽を管理するためのスペースが上にあるのだが)奏汰はこの角度で見上げるのもなかなか好きだった。

「ふふふ、そういうのも『あり』ですね。……ぼく、ひとつ『おもった』んですけど」

「なに?」

「むかし、『ともだち』としてきてたら、いっしょに『おみやげ』をかったとおもいます」

 奏汰は曲がり角の順路図を指す。わかりやすいおねだりに薫は少しだけ苦笑し、その唐突さがなんだか面白くて笑った。ソファーベンチから立ち上がり、じゃあお土産を選ぼう、とふたりは一緒にクラゲのコーナーを後にした。

 
 
 


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