亮はしれっと資料を広げるのを続ける。
「仕事の話も何も、俺はまだ一言も喋っていない」
チッ、とエドはコーヒーカップの影で舌打ちをした。少々のことでは動じない豪胆な態度は、悔しいながら実にビジネス向きだ。
ふと、そこまでビジネス向きな性格だというのにメールがあんなに下手くそで大丈夫かと無用な心配が湧き起こる。まあそのあたりは翔のほうがしっかりしていそうだから、事務と商談とでうまく役割分担しているのかもしれない。
資料の一部をエドへ渡すと、亮は両手を顔の前で組み、すうっとナイフでも振り下ろすかのように視線を投げた。
「エド。しばらく前から嗅ぎ回ってくれているそうじゃないか、色々と」
「……! 気付いていたのか」
「まあな。あれだけ大胆に調査してくるとはさすがに思わなかった。ああいうことは明るい場所ではなく、なるべく裏側でやるほうがいい」
「ああ、それは悪かったね。まさかそこまで後ろめたい情報だとは思わなくて。白昼堂々とするほうが潔い。リスクを掛けてまで欲しい情報というわけでもなかったし」
「守秘義務の話だ。ビジネスのルールを守れと言っている」
「おや、一丁前なことを言うじゃないか。でもまあ、あの時点ではきちんとビジネスになるかどうかさえ未知数だったわけだし。きみはそのあたりをきちんと自覚すべきだね」
ばちばちと火花を散らせる。亮のペースに乗せられてしまわないよう、エドは先手を打っておく必要があった。分はこちらにあるはずだ。こういった場面での経験値はエドのほうが遥かに高い。
しかしエドの牽制にも亮は顔色ひとつ変えず、淡々と資料の説明に移る。
「次の四月から、新リーグの創設に向けて本格的に始動する。俺の治療だけでなく各方面との調整も万全だ。リーグの試合が始まるのはさらに一年後。これからその第一回目の試合に向けて、エド、お前には広告塔になってもらいたい」
「! やっぱりビジネスの話じゃないか! 帰るぞ。事務所を通していない以上、話を聞けるのはここまでだ」
エドは椅子から立ち上がり、紙束を亮へ突き返す。鞄を手に取ったところで、「まあ待て」と腕を掴まれた。不用意に触るんじゃない、と振り払おうとしたところで丁度、パンケーキを持ってきた店員と鉢合わせる。
「……ああもうッ!」
どうしたものかと困る店員が不憫で、エドは嫌々ながらも席へ座り直した。広がっていた資料を乱雑にまとめ、皿を置くスペースを作ってやる。
せっかく注文したのだから店に悪いだろう、とエドは言い訳しつつもメープルシロップをパンケーキにかけた。ナイフで切り分け始めたとき、その様子を亮がしげしげと眺めていたことに気が付く。
「エド」
「なんだ」
「それは一口用のカットなのか? 思っていたより一口が大きいんだな……」
「? は?」
「いや、なんでもない。俺に構わず食べててくれ」
ここが公衆の場でなければ全身全霊でキレたい気分だった。本当になんなんだこの男は。マイペースにも程がある!
エドは腹の虫をどうにか収めようとパンケーキを頬張る。こうなってしまった以上、この場の主導権を握るのは亮になってしまった。これまでの経験がまったく通用しないことにエドはとうとう諦めがつき、小麦粉と卵の風味を堪能しながら白旗を振る。
「あーあ、分かったよ。ボクの負けだ。ただ食事中はビジネスの話をしたくないし、今日はプライベートのつもりなんだ。今日のところはこの資料だけ貰っておく。正式な打ち合わせは、事務所のほうにきちんとアポイントを取ってくれ。それでいいか」
「ああ、構わない。もとよりそのつもりだ」
面の皮が厚すぎる。実力も容姿も人並み以上に優れているからこの程度の扱いで済んでいることに、自覚はあるのだろうか。
エドは頭を抱えながら次の一切れを口へ運んだ。ふんわり軽い生地にシロップがよく絡む。どうせ亮の驕りだしとたまたま頼んでみたが大正解だった。柔らかくて甘くて、それだけでストレス値が軽減されていくような気がする。
甘さにほだされつつ、プロジェクトが頓挫せず順調に進んでいるらしいことを知れてよかった、とエドは嬉しさも合わせて噛み締めていた。
「……で。用はそれだけか」
「いや、まだある。安心しろ、そっちは仕事の依頼ではない」
「…………まだなにかあるのか」
何気なく窓の外を見る。わざとらしい溜息に嫌味を込めたつもりだったが、ガラス窓に反射する自分の顔はそう言われてもあまり説得力のない顔をしていた。これでは尻尾で反応が丸わかりな犬猫と同じじゃないか、とエドは慌てて皿に向き直る。
パンケーキの三切れめにフォークを刺したとき、亮はエドの前に、手のひらから少し余る程度の空き箱をひとつ提示した。
「新しいデッキを作るのに協力してほしい」
亮のお願いに、エドは三切れめのために開けた口をすごすごと一旦閉じた。生地表面に乗っていたバターのかけらが滑り落ちた。
「デッキを作るだって?」
「ああ。俺が使っていた裏サイバー流デッキは翔にあげてしまったし。新しいものを作りたいとは思っていたんだ。作るべきと言ったほうが近いか」