午前10時のユウレイクラゲ─05.もしもともしもの交差点 - 1/4

「宿儺は映画館ははじめてだったりする? 面白いよ。俺たちは座ってるだけでいい」

 真人は座席に深く腰かける。館内は明るく、スクリーンにもなにも映っていない。どうやら上映プログラムがひとつ終わったタイミングのようで、足元には前の客が残したのだろう食べかすや飲みこぼしが散らばっていた。 それらを目にした宿儺は露骨に不快感を表に出す。

「映画は知っている。小僧の裡から見た」

「そう。それなら話が早いや。このあとやるやつが面白そうでさ。虎杖悠仁に見せようと思ってたんだけど殴られて腹が立ったからやめちゃって。宿儺、一緒に見てよ」

「ハァ? なぜ俺が貴様に付き合わなければならんのだ」

 いいからいいから、と真人は後ろへ呼びかける。宿儺は重い防音扉に背を預け、苦虫を噛みつぶしたような表情をする。真人は宿儺の反応など気にしていないようで、座席に改めて深く座り直した。

もぬけの殻、という言葉があるね。主体は中身の入っていない殻のほうだ。蛻のほうじゃない。じゃあ蛻とはなにか?」

 スクリーンから最も近い一番前の座席列では、スタッフがひとりモップをかけている。当然だがスタッフに真人と宿儺の姿は見えていない。

「ただの枕詞じゃない。脱皮する行為そのものを指すんだ。蛻の殻とは蝉の脱け殻、いわゆる空蝉のことを言っているんだって」

「まったくよく喋るな。どうせなにかからの受け売りだろう」

「わかる? 昆虫図鑑読んだんだよね。案外面白かった」

 宿儺は退屈そうに耳穴を掻いた。ずらりと並ぶ座席の背もたれの中に、灰色の頭髪がひとつ浮いている。そう広くはない小さな映画館なため、互いの顔を付き合わせなくとも会話を交わすのは容易だった。

「でさ。俺が言いたいのは、いまあの器はさ、中身アンタと分離しちゃってるじゃん? それってつまり、あの器は蛻の殻ってことになるのかな? 俺はそうじゃないかなって思うんだけど」

 真人は肘掛けを支点にくるりと半身を捩らせ、身を乗り出して宿儺を捉えた。幼い子供がするように、背もたれの天辺に両腕を置いて顎を置く。その片手は欠けたままで、失った呪力が戻らないことを如実に語っていた。

「問いの真意が分からんな。なにを考えている? それともただの言葉遊びか?」

「どうかな。あるかもしれないしないかもしれない。けど、たぶんないよ」

 そうだな、と宿儺は耳穴から指を抜き、息を軽く吹いて垢を飛ばした。自らの器となった少年について、腕を組んでわずかばかり思案する。

 ──虎杖悠仁。人格は明るい馬鹿そのもので、大仰な人物ではない。が、それ故にどうして器として機能できているのかはさっぱりだ。

 普通、水を注いだところでほとんどの物々ものものは器として機能しない。注いだ水は輪郭に沿って流れ落ち、どこにも溜まらず雫を滴らせるだけ。器が器として機能できるのは、容れられるものがあることを想定しているからだ。だが有象無象の雑魚呪霊ならともかく、偶然に発生した窪みに両面宿儺このおれが納められるなどありえない。まるで、呪いの王を納めることありきであつらえられたかのような──。

「……思えば、あれは最初から中身のない、空洞だった」

「──へえ。じゃあ、あれはなに・・・・・?」

 

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