旅は道連れ世は情け─2.蔵匿罪 - 1/2

「朔間くん、羽風くん、お疲れ様」

「ああ、ありがと」

マネージャーから冷えた水のボトルを受け取る。今日は零と二人での撮影の仕事だった。上々の出来だ。薫は貰った水をちびちびと飲みながらスマートフォンでニュースサイトを開く。

「おや、買い換えたのじゃな?」

「そうだよ〜、ずっと割れたままだとカッコ悪いし」

相変わらず不穏な見出しのニュースばかりが並んでいて、それだけでなんとなく疲弊した。撮影を終えて上機嫌になった気分がしなしなと萎えていく。薫はため息をついた。集団登校の列にトラックが突っ込んだニュース、女子中学生が行方不明になたニュース、解体現場から死体が掘り起こされたニュース。

「薫くんや、顔が疲れておるぞい」

「ん〜、言葉の暴力にちょっと当てられちゃっただけ〜」

ニュースサイトなんて見なければよかったなあ、と思いつつも指はなんとなく画面をスクロールしていく。なにか他に気の晴れるような明るい見出しが読みたかった。だが、ふと目に止まったのは『指名手配犯を匿い五年 自供で事件発覚』という見出しだった。

「(そりゃあ……隠すだけでも罪だよねえ……)」

分かりきっていたことだ。小学生でも分かる。

隠すだけでも罪。匿うだけでも罪。知っていることがもう罪なのだ。

「薫くん、薫くんや。なにをボーっとしとるのじゃ」

「へっ!? あ、ああううん、なんでもないよ」

帰り支度をする零に促され、薫も慌てて荷物を整理する。スマートフォンも鞄へ滑り込ませ、薫は零とマネージャーに急かされ次の現場へ向かった。一時間後から雑誌の取材だ。萎えかけた気分を切り替えなくては。

「……薫くん、なにか悩みごとでもあるのかえ」

「ええ、なんでもないよ。ちょっと昨日飲み過ぎただけで」

「にしても少々気が抜けすぎじゃのう。もっとしっかりしておくれ」

「ごめんごめん。……ちゃんと集中するから」

──指名手配犯を匿い──事件発覚──隠すだけでも罪──。

そうと決まったわけではないが既に胃が痛かった。これはきっと、匿っていることになるのだろう。薫の頭はずっとぐるぐるしていた。というか、これで正気でいられるほうがおかしい。

「(あー、だめだ! しっかりしなきゃ! 仕事は仕事っ、俺はこっちが本業なんだから!)」

プライベートと仕事は切り離さないと、と薫は頭を振って雑念を払う。

 

***

 

雑誌の取材を終えた帰り。

こんな大都会でも蝉は鳴くらしい。土などせいぜい街路樹の根本程度にしかないだろうに、どこに眠っていたというのか。もう九月も半ばだというのに、蝉はまだしぶとく生を主張する。時刻は夕方。青空がオレンジ色にくすみ始める。

信号待ちをしている最中。薫はなんとなく、向かいのファストフード店をぼんやり眺めていた。期間限定発売のジャンクなハンバーガーと、ジャンクさに更に追い討ちをかけたフライドポテトのセットメニューの広告。小腹は空いているが栄養面では今一歩だなあ、とそのままガラス窓に面した客席へ視線をスライドさせる。

「あ。もりっちじゃん」

窓際の席にいる千秋と目が合った。向こうも驚いたようで、ハンバーガーにかぶりつこうと大きく開けた口を慌てて閉じ、にこにこと人懐っこい笑顔で手を降ってきた。

「(暢気なもんだよね〜。もう少し隠れるとかさ〜、こんな大通りの店の目立つ席で食べるなんて……)」

顎へマスクをずらしているのがせめてもの変装意識といったところだろう。信号が青に変わり、鳥の鳴き声を模した電子音が鳴る。その流れで薫はファストフード店へ入った。

このあとは予定もないし、まっすぐ自宅へ帰るのがなんとなく憚られた。彼を匿って一週間になる。

「や、もりっち。相変わらずジャンクなもの食べてるね〜」

アイスコーヒーとフライドポテトを載せたトレイを持ち、薫は千秋の隣の席へ腰かけた。千秋は嬉しそうに笑い、自分のトレイをわずかに端へずらして薫のためのスペースを広げる。

「羽風! 奇遇だなっ、俺もいまそのポテトを食べてたところだ。フレーバーのおかげで無限に食えるぞ……☆」

「いやさすがに無限には食べれないよ。。もりっちも好きだよね〜、芋」

「まあまあ。羽風もそのメニューを頼んでくれたことが嬉しいぞ。おそろいだな……☆」

屈託なく千秋は笑う。学生時代から変わっていないことに薫は安堵する。

卒業後の進路として、千秋は同期の中でもずば抜けて恵まれたスタートダッシュを切っていた。お膳立てされたものだが、お膳立てをしてくれる人間を引き寄せたのは確かに千秋自身の人柄によるものだ。薫はポテトを一本つまむ。

「どうした羽風? ボーッとして。フレーバーが口に合わなかったのか? それとも……悩みでもあるのか?」

ハンバーガーを食べ終えた千秋は包み紙をくしゃくしゃに潰し、じっと薫の目を除き込んだ。オレンジ色を帯びた光彩は、燃える太陽の色をしている。薫はもう一本ポテトをつまみ、やはり塩気が強いな、と味を再確認する。

「……バレた?」

「元気がないのくらいすぐにわかるぞ。落ち込んでる人も困っている人も助ける! それで、どうした? 俺でよければ話し相手になるぞ」

「あ〜……。う〜ん、まあ……そりゃそうなんだけどさ……」

薫は千秋の純な視線から目をそらす。

「その……。ここじゃなんだし、さ。今度にしていいかな。ほら、俺たち一応芸能人だし。プライベートはもっと大事にしないと」

「む、それもそうだな。じゃあ今度食事でも……。あ、漏れて困る話なら俺の家か羽風の家のほうがいいか?」

──言えるわけがない。千秋に対して奏汰の話など──。もっとも柔らかくデリケートな部分を土足で踏み荒らすようなものだ。

「俺の家は……まずいかなあ。あっそうだ。もりっち、もうすぐ誕生日じゃなかったっけ」

覚えててくれたのか、と千秋の顔が一気に明るくなる。童顔なせいもあってか実年齢よりもずいぶん幼い笑顔だ。眩しいなあ、と薫はストローをくわえ内心でぼやく。

「うんうん、ようやく覚えてくれるようになったのか! 嬉しいなあ、忘れられてたら悲しいから毎年言うようにはしてたんだが。そうかそうか、お祝いされるのはいくつになっても嬉しいなあ……」

「あんだけ自己主張されたら覚えるよ〜。それに最近ね、もっとそういうの大事にしなきゃなあって思ってさ」

奏汰と再会して一週間。六年間分の空白と、忘れてしまった誕生日の穴埋めをしていた。まだまだ穴は埋まりきりそうにないが、これから一年かけてゆっくりゆっくり日々を重ねていくつもりだ。自分でもなかなか恥ずかしい約束をしたものだと思うが、そうするくらいしか方法が思いつかない。

「……もりっちさ。いままでの誕生日ってどうだった?」

「どうって?」

「うーん、えっとほら……プレゼント被っちゃったら悪いし? 誕生日ってなにしてもらってた?」

「そうだなあ……」

千秋はぼんやり窓の外を見る。灰色だったビルが赤く染められている。横断歩道が赤になり、ふいに蝉が鳴きやんだ。千秋の沈黙と店内の話し声が反比例する。

「……十九の誕生日だな。あいつが会いに来てくれた。約束した通りだった」

目元がすう、と細められ、千秋は顎下にずらしたマスクを正しい位置へ戻した。顔の下半分が隠されるが、目と眉だけでも寂しさを語るに十分すぎる。薫はポテトの存在を思いだし、間を誤魔化すために萎びたそれを食んだ。

「約束してたんだ。『来年もお祝いする』って。嬉しかったなあ……。いままでで一番幸せな誕生日だった。その次の年も来てくれるだろうかって思ったんだが、……約束するのが怖くてなあ。俺があいつを縛りつけてしまうんじゃないかって……。すればよかったのかな。約束」

マスクをしていてもその横顔は綺麗だった。奏汰のあの渇いた瞳と面影が重なる。

「(……俺にはどうしようもない。俺にできることは限られてるんだから……)」

「すまんな、湿っぽくなってしまった。誕生日の話だったな。誕生日と言わず俺はいつでもウエルカムだぞ。まあ、誕生日にお祝いしてくれたら一層嬉しいが。その気持ちだけで俺はもう十分だ」

「いや、俺のほうこそゴメンね。……大丈夫だよ。たぶん。もりっちのこと忘れるわけないよ。忘れられないでしょ。……忘れてないから。大丈夫」
「……そうだな」

──俺も約束すればよかったんだろうか。縛って、逃げられないようにして。そうしたら、六年間なんて期間が空くことも、なかったはずだ。

「(……傷つけずに生きるのってどうやればいいんだろうなあ。そんな考えって甘い、かなあ)」

日が落ち始め、世界がより赤くなる。啜ったアイスコーヒーは氷が溶けて味が薄くなっていた。

 

***

 

「会わないの?」

「……まだあえないです」

「そう」

伝言だけでもするよ、と薫は申し出るが奏汰は首を横に振った。

千秋がいま撮影してる映画の現場と薫が今日収録する番組のロケ地が近く、せっかくだからと誕生日を祝う約束を取りつけたのだ。三日ほど早いが、ぴったり当日にお祝いするのは難しそうだ。それに、こういった記念日はスタッフたちからも十全にお祝いされるものと相場が決まっている。千秋のことだからきっと盛大にサプライズを贈られるに違いない。

仕事へ向かう薫を見送るのは奏汰の日課になっていた。他に行く宛もないので薫の家に間借りさせてもらい、やることもないので薫の代わりにだらだらと家事をこなす。まるで専業主夫だ。

「あのさ。……いつかは会わないといけなくなると思うよ。覚えてるんならなおさら」

「かおるがいえたことじゃないでしょう」

「も〜まだ怒ってるの〜? 悪かったよ本当に。でもさ、忘れてて会いに行ってないのと、覚えてるのに会いに行かないのって全然違うと思うなあ。もりっち、会いたがってたよ」

奏汰が目を伏せる。五秒ほどそうして俯いていたが、奏汰は顔をあげてにっこりと笑った。

「かおるが『しんぱい』しなくても、ぼくは『だいじょうぶ』ですよ。ちあきにも、ちゃんとあいにいきます。いまは、まだできないけど……」

「──それは死体を埋めてるから?」

「はい」

またそれだ。

薫の頭を悩ませるキーワード。いまはまだ、その正体を知らないまま話を合わせているに過ぎない。だが、いつまでも与太話に付き合っていられないのも事実だ。

こんな調子で一年なんて過ごせるのだろうか? 知りながら隠し続けているこれは、罪にあたるのだろうか?

 

***