オリジナルアニメ映画「アリスとテレスのまぼろし工場」を観に行ってきました。
テレビCMを見て「中島みゆきがアニメ映画の主題歌を!?」と気になったのがきっかけです。中島みゆきは元から好きだし、超ビッグネームにオファーかけるのすごいな!?と思ったので。
公式サイトのあらすじを見て、「登場人物としてアリスとテレスが出てくるわけではないのか、、」とも思いつつ、「14歳、永遠の冬、出られない街、、う〜ん好きそう!」と自分的に好きそうなキーワードが多かったのです。
MAPPA制作で作画も綺麗、特に背景美術が良さそう。
というわけで三連休することもなかったし、見に行ってきました。
ネタバレなしの感想としては、「面白かったし、私は好きだけどどの層にすすめたらいいか迷うな〜!?」という所感です。カテゴライズするなら児童文学やジュブナイルって区分になるんでしょうが、そのへんを大人向け大衆向けに売り出すのって難易度かなり高そう〜…。
そのへんを補うためのMAPPA制作だったり中島みゆきだったりするのかな。
封切り三日目で行ったんですが映画館全然人がいなくて、興行収入が心配です…。
※以下の感想はネタバレを前提にして書かれています。
この映画、「女」の描き方がエグい。
綺麗にまとめてるけど「女、とくに母親」のグロくて醜い部分が真面目に描かれている。
噛み締めながら夕飯食べていたんですが、この映画ってミソジニーの系譜を汲んでるんじゃないかなあ。
脚本監督は岡田麿里。恥ずかしながら「あの花」も「さよ朝」も見たことがなく、名前をなんとなく知っているだけの存在です。ですが女性が脚本も監督も一貫してやっているっていうのは、だいぶメッセージ性が強いなと感じました。
時の止まった出られない街の中で、胎の中の子供は産まれることなく妊婦は永遠に妊婦のまま。
子供と一緒に歩いている最中に心にヒビが入って消滅してしまう母親。
このへんの描写、男性監督では思いつかないんじゃないかなあ…。
佐上睦実というキャラクターはかなり魅力的、というか正直言って面倒くさいやつで。
男が嫌いで、でも男が好きで、娘は嫌い。
正宗が五実とイチャついてる場面を見てキレた第一声が「てめえやっぱりオスかよ!」で、男が嫌いなんだろうなと想像できます。そもそも正宗へ声をかけたのも「女の子みたいだから」という理由です。睦実は男っぽいガサツさや男性的な性欲への嫌悪感がある。
その一方で正宗へ自分のパンツ見せつけてみたり、性的なちょっかいを仕掛けて楽しむ気持ちもある。屈折してます。
てめえやっぱりオスかよ、と男性性を嫌悪する気持ちがあるにも関わらず、正宗のキスも受け入れるし。
これ、恋愛至上主義に抵抗しても結局飲み込まれてしまうっていう諦めだなあと私は感じました。
それに加えて「恋する14歳の少女」に「娘の世話をしなければいけない母親」が被せられているのもま〜グロくて。
睦実にとって五実は実の娘ではないので育てる義務もないし育児放棄しても当然っちゃ当然なんですが、「睦実と五実は双子と見間違えるほどに顔がそっくり」という設定が残酷だな〜と。
五実の世話を協力してほしいと正宗へ持ちかけたのだって、「これ以上私ひとりでは面倒が見れないから」ってことでしょう、それって「どんどん自分そっくりに育っていく娘から目を逸らしたい」のと一緒じゃないですか…。
クライマックスの「未来はあなたのものよ、でも正宗の心は私のもの」っていうセリフ、予告PVからはホラーじみたニュアンスを感じたんですが実際は違いましたね。
パパにガチ恋した娘へ”女として”ガチ対抗心を燃やす母親としてのセリフでした。
私は旦那と仲良くやるからあなたは一人で生きてね、と未来へ送り出すセリフでもあり、母親をやめて女として生きるね、と娘を突き放すセリフでもあるように思います。
こえ〜よ!こわい!
この、娘へ(娘じゃないんだけども)対して母親としてでなく女として接するっていうの!めちゃくちゃグロくない!?
現実世界のほうの睦実が屋台でサキを置き去りにするシーンも、「いこ、正宗」とスッと踵を返す瞬間もモーションがめっっっっちゃくちゃ女で!!彼氏とイチャつく女の仕草じゃんあれ!
見ながら直感的にそう感じて、これ、睦実は現実でも並行世界のほうでも全然いい母親じゃなかったんだろうなあと。
そういうふうに意図して描かれてると思いたいなあ…。
岡田麿里、”母親”が嫌いなのかな…と考えたりしました。
正宗のおじさんは正宗の母のことが好きで…っていう描写もね。
おじさんが正宗母へ告白しようとすると「いい母親でいたいから」と告白イベントそのものを断るシーン。
ここ、「旦那亡き後に再婚することは良い母親像ではない」っていう価値観のもとに出てくるセリフじゃないですか?
「死んだ旦那に悪いから」じゃないんですよ。「いい母親でいたいから」なんですよね。ぐ、グロ〜…!!
とはいえ終盤以降のおじさんの行動動機は「正宗母に振り向いてほしい」というもので、エンディング後の世界でもきっとそれは続くでしょう。あの永遠に終わらない世界で、おじさんは今後ずっと「いい母親なんてやめて俺の女になってくれよ」のスタンスでいくんだろうなあ…。
いや、それさ。
「どんなにいい”母親”でいようとしても結局は”女”になってしまう」ってことじゃん…?
終盤のエモへ突っ走っていく豪快さは見事で、映像的な爽快感と見応えはしっかり十分にあります。
ただ着地点が。
「抵抗もしてみたけど恋愛至上主義に則って愛に生きるのが幸せです、私たちはそれ以外の結論を見つけられませんでした」っていうメッセージだなあ…と……。女性監督だからこその味だなあ。
でもこういうメッセージが出てくるからダメ!ってことではなくむしろ逆で、こういうメッセージを扱ってもいい空気感になった、そういう空気感を作ってみようっていう動きそのものは純粋にすごいなと思います。
あとさ〜園部がほんとに好きだったのは正宗じゃなくて睦実だったんじゃないかな〜って思いました。
園部の行動だいぶ意味不明なんだけれども、あれって正宗が好きな気持ちでいっぱいなあまりに出た行動というよりは、睦実と”退屈を壊すようなこと”をしてきた現状を変えたくってやっちゃった振る舞いなんじゃないかなあ…。ただそのあたりが詳細に描かれることはなく仙波くんもフェードアウトしていったのはちょっと残念です。
しかしですよ、なにもかも静止したユートピア(ディストピア)で、最後に残るものって愛以外にある?って聞かれたら私は答えられないので、やっぱり愛しか残らないんじゃないか〜!?でもほんとに〜!?と暴れてしまいますね…。
そういう意味では「女の子は”女”にしかなれないが、女同士の友情によって救えるものもある」と提示したウテナはかなりチャレンジングな作品だったんだなあ。ウテナ、97年の作品なんですねえ。「アリスとテレス」は1991年がベースの世界っぽいので90年代の空気感のオマージュといえばそうなのかも。
個人的な話ですが私は自分の母親のことが嫌いで、萩尾望都の短編漫画「イグアナの娘」にとても深く共感するんですよね(恐ろしいことにこの漫画は母親の本棚にあったものを勝手に拝借して読んだのがきっかけです)(うちの母親、この漫画を読んだ上で自分の振る舞いに無自覚だったんだなあっていう諦めが、ね〜。あるんですよね…)
私は自分の母親、嫌いなんですよ。このへんの話もいつかエッセイ的に書いておきたい気持ちはあるんですが、いかんせん呪詛がちょっと強すぎて世に出せません。
なので「アリスとテレス」は世に出して発表してる分すごいです。そういうの書いてもいいんだあ…って気持ちになりました。
こういう話だとはさすがに予想できてなかったですが、チケット代だけの価値はあったな〜と思います。