ミモザの福音-#01 漂泊者たちの寄る辺

 二つ折りの携帯電話が唐突に震える。ランプが七色に光り輝き、本人から押し付けられた着信音がけたたましく鳴り出した。彼──天上院吹雪からのメールだ。

『今度のOB交流会で、そっちにボクが行くことになったんだ。スケジュールの都合であまり長居はできないんだけど、ちょっと二人で話せないかな』

 語尾にいちいち顔文字が舞い踊っていて読み辛いことこの上ない。だがそれも送り主が吹雪であることを考えれば至極当然だろう。彼は対面で喋っていても語尾に星だのハートだのを常に舞い散らせる、実にご機嫌な男なのだ。鬱陶しいと感じることはしばしばあるものの、だが正直、自分──藤原優介は、吹雪のそういったところが全く嫌いではなかった。

 なんと返事を書こう。優介はしばし躊躇し、何度か同じ文面を書いては消しながら、とつとつとボタンを押して文字を書く。

『わかった。俺も吹雪に話したいことがあるから、在校生代表とのデュエル後に灯台前で落ち合おう』

 感情をテキストデータに置き換えるのはそこそこに気楽さがあって良い。装飾を極力排したシンプルな文面を返す。優介は吹雪のようなご機嫌な男ではない。携帯電話を折り畳み、椅子に深く座り直した。

「(吹雪か──。……直接会うのは久しぶりになるな。テレビではよく見ているが……)」

 アカデミア卒業後、吹雪はプロの道へと進んだ。初期は亮とその弟が運営しているプロリーグでのみ活動していたが、徐々に仕事の幅を広げていき、ルックスの良さが周知されるに従いリーグ以外での活動、メディアへの露出が増えていった。いまや週に一度はどこかのチャンネルで吹雪を見かけるほどだ。近々歌を出すとか出さないとか。ほとんどアイドルのような人気っぷりだ。

「(OB代表……。凄いな、吹雪は)」

 すっかり差がついてしまったな、と優介はひとりごちる。

 同じ年に入学したはずなのに、あんなことに手を出したせいで自分だけ置いていかれてしまった。自業自得と言うしかない。一度通り過ぎた時間が巻き戻るなんて普通はないのだから。

 開いたままのノートに向き直り研究レポートの続きを書こうとするが、うまく思考がまとまらない。四年前、いや正確には六年前か──の出来事が脳裏に思い出され、気持ちがジワジワと沈んでいく。

「(今日はもうやめにしよう。また明日……明日、考えるか)」

 そろそろ卒業が近いのだから気を引き締めなければいけないのに。

 優介は白い制服を脱ぎハンガーにかける。この白い制服を着る者は自分しか居なくなってしまった。パジャマに着替えて電気を消す。

「(……早く会いたいな。会って、……いや、やっぱり会いたくないような……。でも吹雪には話さなきゃいけないことがある……。……あぁでも、はやく話して自分だけ楽になりたいだなんて、そんなのはエゴかな……)」

 

***

 

 春がすぐそこまで来ていた。海辺ということもあり風にはまだ冷たさが残っている。二月のカレンダーを破り捨てた途端、日差しはここ数日でぐっと安定し始めた。木々の合間に、明るい黄色の花がちらついている。あの花はなんという名前の花だろう。ぽつぽつと足元に芽吹き始めた新芽の緑色もどこか柔らかく見えた。

 灯台のある埠頭、夕方午後五時前。コンクリートで固められた地べたに直接腰掛ける。干潮なのか水位は低く、脚を放り出しても問題なさそうだ。

 優介は灯台のあるこの岬が好きだった。波が打ち寄せる穏やかな音と、邪魔するものが何もない真っ直ぐな水平線。今はまだ明るいが、真夜中にこの灯台から放たれるぼうっとした光線も気に入っていた。この場所は自分に安らぎと落ち着きを与えてくれる。

「藤原──久しぶり!」

「! 吹雪!」

 声のした方向を振り返った。遠くでベージュのトレンチコートが風にはためいている。それがとてもよく似合っていてお洒落に見えて、吹雪の大人っぽい雰囲気をより引き立てていた。先ほどのOB対在校生代表デュエルで見事なデュエルを繰り広げたばかりだというのに、吹雪は全く疲れた様子を感じさせない。むしろエネルギーが有り余って仕方ないという面持ちで、埠頭を駆け走ってきた。

「あんまり走ると危ないよ吹雪」

「ああ懐かしい! 藤原、本当に久しぶりだね! このオリーブ色の髪っ、遠くからでもすぐ分かったよ!」

「うわっいきなり髪触るなよ」

「三月の海だろう? 平気だよ! アカデミアの海は温かいし、ボク服着てても泳げるし」

「頭ぐしゃぐしゃにしないでくれるかな? 吹雪が着衣水泳できるのは知ってるけどそういう話じゃないだろ。落ちたときに怪我でもしたら」

「わかったわかった、もう走らないよ」

 吹雪は少し声を弾ませながら優介の隣に座る。

「ごめんね、懐かしすぎてつい昔うちにいた猫みたいに撫で回しちゃった。櫛使うかい?」

「いいよ手櫛で……。自分で直すから」

 吹雪に好き放題撫で回されて髪はすっかりボサボサだ。吹雪がどこからともなく取り出してきた櫛を断り、優介は面倒臭そうに、だがまんざらでもないといった様子で髪を手櫛で直す。気づけば口角は緩んでいた。そうだった、こうしてなんでも気兼ねなく話せるから、彼の隣は居心地がいいのだ。

「メールは何回かしたけど、直接会うのは二年ぶり? かな?」

「そうだな。……もう丸二年になる」

「ボクからは結構送ってるけど、藤原からはあんまりメール送ってくれないよねぇ」

「だって特に話すこともないし……」

 この二年間、島では特に目立った事件もなく至って平和だった。特段話すことがないのは事実だ。

 そっか、と吹雪は呟き、ふと海のほうへ視線を向ける。

「……正直ちょっと寂しいんだよね。……せめて、もっと絵文字とか使ってほしいかなァ」

「いちいち入力するのが面倒なんだよ。亮からのメールだって似たようなもんだ」

「亮のはもっとひどいよ! 亮のメールはッ……亮はもともとクールなところが素敵だけど……文章だけになると途端に冷たく感じるんだ……。ボクは絵文字がないと、気持ちがこもってないように思うんだよ! 藤原だって、もっと文面に笑顔の顔文字とかさぁっ、ワクワクしてるときはちょっとキラっとした絵文字使うとかさぁっ」

「はは、吹雪、元気そうだね」

 思わず笑みが零れる。吹雪はくるくる表情が変わっていて、隣で見ていてとても楽しい。テレビ越しに見るときはアイドルの体面を保っていつもキラキラした顔を崩さないが、今は気を使わないでいられるのかうんと表情のパターンが多い。テレビで見るよりうんと──と言うより、昔の、優介が知っている吹雪のままだ。

 微笑む優介を見て、うーん、と吹雪は唸る。少し考えた様子で天を仰ぎ見て言った。

「元気、元気、元気かぁ……。藤原は、元気?」

「まあまあかな」

「最近は寝れてる?」

「言われてみれば寝つきはあんまりよくないかも。でもちゃんと寝れてるよ。大丈夫」

「…………そう。そっか。それなら安心したよ」

 吹雪は茶褐色の目を細めて微笑む。伏せた睫毛が扇状に影を作り、重めの前髪の中に消えていく。

「藤原は……ちょっと変わったな。ボクが思ってたよりずっと」

「……そうかな。……過大評価だよ」

 日が沈み始めた。正面にあった太陽がいまにも海へ落っこちてしまいそうな角度になっている。ふつりと会話が途切れ、穏やかだった日差しから暖かさが消え始めた。空の明るい青色が、背中の方から徐々に群青色へ変わっていく。巣に帰ろうとするウミネコがそこかしこに飛んでいる。

 ──自分が変わったというのは明らかに吹雪の過大評価だ。久しぶりに会ったから、変化しているように感じるだけだろう。根本のところで優介は、何も変われてなどいない。あのころから一歩前進はしたものの、たった一歩、たった一歩踏み出しただけだ。

 そこから次の一歩をどう踏み出せばいいのか、優介には分からない。

「……きみが羨ましいよ、吹雪」

「羨ましい?」

「だってそうじゃないか。吹雪はどんどん前に進んでいって……どこにだって行ける。行きたいところへ自由に行くことができる。……たった一歩踏み出すのに途方もなく躊躇してしまう俺とは大違いだ。身軽で、自由で、鳥みたいで……」

 ──そんな贅沢なヤツが。

 ──どうして僕なんかの隣に来てくれるんだ。

 喉元まで出かかった言葉をぐっと飲み込む。どこにでも行けるということは、ひとところに長く居れないということだ。すぐ離れてしまうということだ。いずれ離れてしまうくせに、どうして優しくしてくれるんだ。どうして僕の隣に来て、どうして僕のために話をしてくれるんだ。

「俺が変わったって? 冗談だろ……。俺はずっと足踏みしてるだけだよ。スタートラインにさえ立てていない。みんなずっと遠くに行ってしまった。亮も、きみもだ」

 吹雪は何も言わない。光に日没の赤が混じる。世界全体が赤みを帯びる。海に太陽がどっぷり浸かっている。水面との境界が曖昧になる。波の音が聞こえる。優介は俯いたまま、じっと自分の膝を睨め付けることしかできない。『こんな話をしたかったわけじゃないのに』とどこか冷静に客観視している一方で、唇だけが勝手に動いていく。

「……きっとこういうのをツケが回ってきたって言うんだろう。因果応報だって。自分のせいだろうって。……それでも、望むくらいは許されるだろ」

 海風が強く吹く。優介は顔を上げ、まっすぐに吹雪の両目と視線を合わせた。その目は夕陽に染まって、赤銅色に透けている。

「それでも僕は、……吹雪と亮と三人で、ずっと一緒に居たかったって。……それだけで…………」

 太陽が完全に沈んだ途端、あたりがぐっと暗くなった。気温が下がり、無情な黒色が被せられていく。あらゆる輪郭が深い青色に溶けてしまいそうだ。ふ、と吹雪は眉根を少し下げ、どこか寂しそうに笑った。その穏やかな表情に、優介は身に覚えのない急所を突かれた気がして身動きが取れなくなる。

「……すまない吹雪、湿っぽい話をしてしまった。本当になんでもないんだ、ただの愚痴みたいなもんだよ。いまのは聞かなかったことに──」

「……ボクだって、」

 波音に掻き消えてしまいそうな声で吹雪が呟く。吹き荒ぶ海風に、吹雪の長い茶髪の端々が舞っていた。

「ボクだって、三人でずっと一緒に居たかったよ」

 きみと同じ気持ちだ、と吹雪は言った。ぐっ、と喉奥に飲み込み切れない痛みが疾る。できるだけ表情を崩さないようにしないと、と優介は意識するものの、喉からじわじわと迫り上がってくるそれはいまにも決壊してしまいそうだった。

 吹雪は沖のほうへ視線を移す。彫刻のようにすらりと整った横顔。長くて密度のある睫毛に、厚くも薄くもない彼にぴったりの唇。少年期のころからいまに至るまで、変わらず神さまに寵愛され続けている横顔はとても綺麗だった。彼は本当に、どこまでも、なにもかもを持ち得ている。ずるい。そのずるさに、かつて自分の半身だった部分がぎゅうと押しつぶされて苦しくなった。

「……吹雪、僕は」

「ボクはね藤原。……きみと、亮と、三人でまたなにかできないかなぁって、ずっと考えていたんだ。学生時代みたいに三人で集まって、代わる代わるデュエルして……。テスト前にも三人で勉強してさ。実技試験の前日なんか夜通しデッキを考えててさ、気付いたら外が明るくなってた、なんてこともあったよね。懐かしいなぁ」

 吹雪は海を見晴らしている。その口調は朗らかで、遥か彼方に遠ざかってしまったあの日々を思い出しているのだろうと想像がついた。彼にはきっと、日が沈んだ暗い海なんかではなく太陽がキラキラと反射する真昼の海が見えているのだ。

「ボクはあの日々を『懐かしい』で終わらせたくないんだ。これからもずっと続いていってほしい。……だから、さ。藤原。──卒業したら、ボクと一緒に住んでよ」

「……えっ!?」

 突然の申し出に藤原は自分の耳を疑う。一緒に住む? 吹雪と? 唐突にすぎて思考がついていかない。文脈もヘッタクレもない。きっとまたふざけているだけだろう、と優介は吹雪の顔を凝視するが、茶褐色の澄んだ瞳は真剣そのものだ。

「な……なんだよ一緒に住むって?」

「そのままだよ。ボクと、藤原が、一緒に住む。ルームシェアってやつ。ボク、これまで実家から亮の事務所へ出勤してたんだけど、ちょっと遠くて大変だったんだよね。それで、もっと近いところに引っ越そうと思って」

 吹雪はおもむろにコートの内側に手を伸ばす。現れたのは小さな封筒だった。中に紙以外のもの入っているのか不自然に膨らんでいる。

「藤原、きみ童実野大学へ行くんだろ?」

「……うん、そうだけど……でもなんでそれを知って?」

「先日OB交流会の打ち合わせをしたとき、クロノス先生がそう零していたんだ。推薦で入ることもできたけどそれを蹴ってのトップ成績で合格。優秀な生徒で鼻が高いノーネ、安心して送り出せるノーネって自慢してたよ。……下宿先を見つけるのに時間がかかってるようだ、とも」

「ああ、そのこと……。でもそれは、」

「亮の事務所は童実野大学と結構近いんだよね」

 吹雪は優介の言葉を遮り、代わりに封筒を差し出す。

「部屋を借りてるんだ。ボクと亮と藤原、三人集まっても十分な広さの部屋だ。亮の家は事務所とは別のところにあるんだけど、仕事終わりに集まるにはぴったりだろう。……また三人で集まりたい。そこには藤原、もちろんきみも居てほしい。この封筒にはその部屋の住所と合鍵が入っている。……受け取ってくれる、かな」

「……吹雪」

 藤原はじっとその封筒を見つめる。もしかして吹雪が伝えたかった話とは、このことだったのだろうか。だがそれは──。封筒を見つめたまましばらく考え、優介は重い口を開いた。

「……ごめん」

「!?」

「俺のほうでもう部屋借りちゃったんだ。昨日やっと決まってさ……。言おうとは思ってたんだけど。だからゴメン! 一緒には住めないよ……」

「そ、そんな……!」

 吹雪はしおしおと崩れ、先程までの余裕が嘘のように崩れ落ちた。肩を落とし、茫然自失の表情で優介を見る。まるで明日世界が滅亡すると聞かされたような表情で、そこまで絶望するほどのことかな、と優介は慌ててフォローを入れる。

「ああっでも! 本当に気持ちはすごく嬉しいよ! 一度、遊びに行くだけ行ってみようカナー」

「!! それ本当かい!? 一度と言わず二度三度、何度来てくれたっていいんだよ藤原!」

 吹雪は目を潤ませ、優介の手に封筒をぐいぐいと押し付けた。なにがなんでも受け取ってほしいらしい。こうなってしまってはもう抵抗できないのだ、と吹雪の押しの強さを懐かしみながらその封筒を開いた。ディンプル式の鍵と、簡単な地図が書かれた紙が1枚入っている。

「ええっと、鍵がこれで……住所が童実野町××の×××-××……◯◯マンション8階……。あれ、この住所……見覚えがあるかもしれない。あぁそっか、俺が借りた部屋のすぐ近くだ」

「えっ嘘。そんなことあるのかい?」

「うん、たぶん……やっぱりそうだ。俺が借りた部屋と番地がふたつしか違わない。マンションが地図のここだろ。この道を挟んで向かいにあるのが、俺が借りたところだ」

 地図を指差しながら説明する。説明に納得がいったのか二人は顔を見合わせ、瞬間、どっと笑い出した。海に笑い声が響き渡る。

「本当に本当!? そんなことあるかな。じゃあいつでもボクのところに来れるじゃないか!」

「その通りだよ! これだけ近いならほとんど自分の家みたいになっちゃいそうだ。……え、ほんとに入り浸っちゃおうかな」

「全然いいよ、むしろ大歓迎だ! そのために、広めの部屋を借りたんだから」

 ひとしきり笑い合い、二人同時に深呼吸をする。偶然にもほどがあるが、その出来過ぎた偶然がただただ嬉しかった。貰った合鍵を握る手が無意識に強くなる。この二年間ずっと渦を巻いていた不安も孤独も、すべての解答がそこにあるような予感さえした。この際だ、数年前から抱いていた感情を一切洗い流して、再スタートするにも丁度いい。

「藤原、」

 息を整え終えた吹雪がこちらを見る。同じ気持ちでいるのだろう、彼の表情にも迷いはなかった。

「なに?」

「そこはきみが帰るための場所だ。そうなればいいと……ボクは思ってる。本当の家があってそこで事足りるなら構わないけれど……それでも、いつでも来ていいから」

 風が柔らかく頬を撫でる。景色はすっかり暗くなり、空には細い弓のような三日月や、一等星がちらついていた。

「ボクはずっと、きみのことを待っていたんだ」

 愛おしそうに、卵を抱える親鳥のように、吹雪は微笑む。手の中に握り込んだ合鍵がじんわりと勝手に熱を持った気がした。

 少し寒くなってきたね、と吹雪は立ち上がり、コートについた土埃を払う。

「ブルー寮まで送るよ」

「……吹雪、」

 優介も立ち上がり、今一度吹雪と対峙する。最後に顔を合わせたときと比べて、吹雪を見る自分の目線に少し角度がついていた。彼の身長が僅かに伸びたのだろう。封筒に鍵を戻し、それをポケットにしまいこむ。これはいままで貰ったプレゼントの中で一番かけがえのないものになるに違いない。少し冷たい空気を吸い込んで、優介は胸奥からそっと言葉を取り出した。

「……その、…………ありがとう」

 それを聞き、吹雪の顔がぱあっと満開の花が咲いたように綻ぶ。改めて正面からこんなことを言うなんて気恥ずかしくて堪らないが、嬉しい気持ちがお揃いであることになにも文句はない。

 吹雪はいつも、自分を新しい場所へ連れて行ってくれる。自分が知らない場所、行けなかった場所へ、楽しい場所へ躊躇なく手を引いてくれる。嬉しいのも楽しいのも、最初のひとつめを教えてくれるのはいつも彼だった。きっと今回もそうだ。

 灯台を背にし、二人は埠頭を歩く。一段と暗くなった空に、ひとつ、またひとつと星が輝き始めていた。

 

 

「藤原は大学で何を勉強するの?」

「ああ、哲学をやろうと思ってて……実はこの前、独自研究で論文も書いたんだけど。デュエルモンスターズにおける哲学、つまりデュエリスト個人による無意識領域下の表象としてのデュエル哲学や、精霊界や異世界からのアトリビュートについて研究をしたくって」

「そ、そう。哲学かぁ……藤原らしい進路だね」

「いま聞いてて全然わからないなって思っただろ」

「あはは、バレちゃった。でも藤原らしいなって思ったのは本当だよ」

「ふうん……まあいいけどね」

「それより! せっかくなら藤原のために色々家具を揃えたいな。いまのところ椅子もテーブルも自分一人用のものしかないんだ。せっかく来てもらっても座るところがない、なんていうのはよくない」

「それもそうだね。うん……椅子、欲しいな。それって吹雪が買ってくれるってこと?」

「任せてくれたまえ♪ テレビの仕事もあるけどボクの本業はプロデュエリストだからね。勝つと一度に貰える賞金が結構大きいんだ」

「へー……羽振りがいいんだ。それなら尚更、買ってもらっちゃおうかな。背もたれがあって、本が読みやすそうな椅子がいい。俺はお金ないし」

「わかった。君が座るための椅子を探しておくよ。絶対気に入る、とびっきりの椅子をね!」

「あー……あんまり高級だと気後れしちゃうから、そこは考えてほしいかな」

「わかったわかった。藤原は大学でバイトとかしないの?」

「したいとは思ってるんだけど。……俺にバイト、できるかな? できる自信が全然ないよ」

「それなら亮の事務所でバイトしたらいい。運営スタッフを常に募集してるからさ。藤原なら顔パスで即採用だ」

「それ縁故採用って言うんじゃないのかなあ。ああでも……いいな。楽しそうで」

「だろう!? 絶対楽しいよ。戻ったらボクから亮に伝えとくね」

「よろしくお願いするよ」

 森の中、ブルー寮までの帰り道を歩いている。──今日、会えてよかったな。優介はなんとなくいま歩いて来た道を振り返る。時間になったのか、灯台からはぼうっとした光線が放たれていた。青暗い空をまっすぐ、粛々と照らしている。もうこの灯りは自分には必要ないだろう。寄る辺はここに、彼の隣にあるのだから。

「……吹雪、実はね」

「なんだい?」

「…………なんでもない」

 きっとまだ言うべき時ではないのだ。それに自分だけラクになろうだなんて自分勝手も甚だしい。そもそも告げる必要すらどこにもないだろう。

 優介は正面へ向き直る。群青色になっていく空の遠いところで、白く光る月がぽつんと浮かんでいた。木々の合間には明るい黄色の花が咲いている。甘い香りもいまは嫌ではない。風に花びらが散り、福音のように、あのとき砕け散ってしまった光輪のように、それぞれの頭上へ降り注いでいく。それがなんという名前の花なのか、二人とも知らない。

 
 
 


「ミモザの福音」
→同人誌個別紹介ページ

1〜3章は全文サンプル公開中。それぞれ独立した話としても読めます。
#01 漂泊者たちの寄る辺 #02 さみしさの始点 #03 再訪のジュブナイル