痛みの味

「順平と喋るのはストレスがなくていいね」

 真人は満足気に唸り、大きく背伸びをした。ハンモックがゆうらりと左右に振れる。

「あんまり動くと落っこちますよ」

 へいきへいき、と真人は順平の注意を軽くいなした。

「順平、なに?」

「いいえ、なんでも」

「ふうん……本当に?」

「あっ、あぶな──」

 真人が順平のほうへ身を乗り出す。直後、ハンモックがぐらりとひっくり返り、真人は地べたへ投げ出されるようにして落下した。

「あーなるほど……こうなるのかあ」

「ほら言った矢先に……。顔面からいきましたけど大丈夫です?」

 順平は真人の肩を支え、落下の衝撃をもろに受けたであろう顔面を覗き込む。幸い、鼻血など目立った外傷はなく、せいぜい皮膚が埃に汚れているくらいだ。真人は手で頬の汚れを拭い、立ち上がった。

「ん、いいんだ別に。これくらいじゃ俺は痛くも痒くもない」

「強がりに聞こえますよ」

「酷いな、本当だよ! 俺は体が呪力で出来てるからね。肉体のように見えるこれらは全部かりそめなんだ」

 ふうんそうなんですか、と順平は生返事で応えた。適当にあしらわれたことに真人はムッと不快感を覚え、瞬間、脳裏にひとかけらの悪戯心が芽生える。

「そうだな、例えばこういうのはどう? ……順平が、俺に『痛み』を教えてくれるっていうのは」

「……え?」

 真人はにっこりと笑い、突然の提案に首をかしげる順平の手首を掴んだ。

「痛ッ──」

「人間は面倒だよね。体に痕が残るなんて。順平のこれみたいにさ」

 捕まれた部分から走る鈍い痛みに、順平は目もとと口もとをわずかに歪めた。真人はにこやかな表情を崩さないまま、その反応をじっくり観察する。

「真人さ──やめ、離して……ください……」

「──ははっ、ごめんごめん! 痛かったよね、順平。もう無闇に掴んだりしないから」

 弱々しく呟かれた拒絶の言葉に真人は喜悦を感じ、ぱっと掴んでいた手を離した。紫色に変色した皮膚。先週末、順平が学校で受けた虐めの痕だ。
 打撲痕を不用意に触られ、不信感が生まれたのか順平は真人から距離をとる。腰や足取りは後ろへ引こうとしているが、視線はじっと真人を捉えたままだ。つくづく面白い子だな、と真人は内心で舌なめずりをする。

「順平、こっちへおいで。もう触らないから」

「……本当ですよね?」

「本当。……順平」

 真人はゆったりと両手を広げる。服の裾が持ち上がり、真人の邪心は布地の柔らかさに見事に覆い隠された。順平にはこれがどう見えているのだろう。なんにせよ、こうして恐る恐るではあるが一歩ずつ近寄ってきてくれるのだ。騙しやすい子であることに変わりはない。

「うん、いい子だね」

 真人の真向かいにまで近づいた順平を優しく包み込む。ひ弱で脆く愚かな少年の背中、まるで幼な子をなだめるように撫でた。

「あの……痛みを教えるって、いまみたいなこと……なんですか?」

 まだ不信感がわずかばかり残る表情で順平は尋ねる。長い前髪から覗く、黒い瞳。色も形もまだあどけない。真人は順平を抱き止めたまま、そのか細く華奢な肩口へと顔を埋めた。

「──そうだよ。どうしたら痛くて、どう触ったら痛いのか。どんなふうに痛いのか。教えてほしいんだ、順平に」

「……でも、痛いのは……」

「嫌だよね。うん、さっきの反応見てそうかなって思った。……だからね」

 ずるり、と真人は腰を屈め、脱力して伸ばされたままの順平の手首へ舌を這わせた。

「──ッ!? ま、ひと、さ」

「これは痛くないでしょ? ……ほら、教えてよ。痛いのが嫌なら、痛くないことを教えてもらわないと。ね、順平」

 言い終わると同時に紫色の打撲痕をべろりと舐め上げる。びく、と浮き出た青い血管までもが反応したように思え、どういう表情で順平の顔を覗き込もうかと真人は夢想した。