この空の下にあるものすべて

 守沢千秋が率いる四人編成の部隊は、他に行くあてのない者たちの寄せ集めと称されていた。
 戦闘機の操縦は天才的だが協調性のない明星スバル、もともと整備士だがテスト飛行が上手すぎて実働部隊に配属された衣更真緒。嫌々軍隊に入った高峯翠。

 守沢は優秀なのにあんな面倒くさそうなやつのお守りばかりで大変そうだ、と同僚からは囃し立てられる。守沢は本当は戦闘機になど乗りたくなかった。だが、平和を享受できていた時代は終わり、かつて曲技飛行部隊で活躍していた高い操縦能力を買われ、実働部隊に移籍させられたのだ。

 真緒は割り切るのが早かった。元整備士の知識を活かし、どこを破壊すれば最も効率的に撃墜できるかが手に取るようにわかった。

 スバルの飛行は天才的で、敵の戦闘機の間を華麗に飛び回り、「気付いた時には撃ち落とされていた」と称されるほど。部隊の戦績をあげていたのはほとんどこの二人だった。

 守沢隊長は翠を戦場に出すのをずっと渋っていた。なにより本人が一番嫌がっていたのもある。隊長自身の戦績はそれほど高くなく、敵前逃亡の戦い方だと嗤う者もいた。だが無闇に逃げ回っているのではなく、街の上空で戦闘したくないという守沢のポリシーがあったのだ。

 海上におびき出し、街への被害を最小限に抑える。海面すれすれを飛び合い、敵軍のパイロットへのダメージも最小限にする。殺さないから、戦績は残らない。

 出動要請がかかったとき、翠はいつも待機を命じられた。一番新入りで下っ端だから、帰って来たときのサポートをしてくれと言われていた。

 軍に入れと親が言ったから入った。戦場には出たくなかったけど、毎回置き去りにされるとなんかムカつく…!と、翠は演習場でひそかに練習を始める。士官学校時代の成績は悪くなかったし、練習用の平均的な機体を乗りこなすのも難しくなかった。

 問題なのは、実践で相手を撃てるか。
 人間を、撃てるか。

 そんな折に出動要請がかかる。俺も戦わせてください!と翠は意気込んで戦場へ向かうも敵軍を撃つべき瞬間に躊躇してしまい、翠をかばってスバルの機体が破損してしまう。スバル自身は無事だったが、真緒も整備に手がいっぱいでしばらくは出動できそうにない。

 守沢は、落ち込む翠をある倉庫に呼び出した。

 そこにあったのは、平均よりも遥かに大きい戦闘機。

「俺は使いこなせなくてな…お前ならやれるだろう?」と守沢は翠にその機体を差し出す。

「大きい分、命中したときの破壊力も高い。高峯はきちんと向き合って戦える。……こいつを任せたぞ」

 そう告げた守沢の表情は、思い出を振り返っているようだった。

 なにかこの機体に思い入れがあるのだろうか? 自分の与り知らないところでこの人に一体なにがあったというのか。

 シンと静まり返った倉庫で、翠はずっと気になっていたことを尋ねる。

「そのペンダントロケットって……隊長の、恋人とか…」

「これか? ウーン恋人では…ないな……」

「…そうスか」

「お守りみたいなもんだよ」と守沢は、首のペンダントを外し翠に見せる。ロケットの中身は何も入ってなかった。

「これはもともと形見でな…俺には一人を選ぶなんてできないからな。全部を守らなきゃいけないんだ」

「全部?」

「ああ。…全部だ」

 全部、がどこからどこまでを指すのか翠には分からなかった。

 翌日、部隊に緊急の出動要請がかかる。

 スバルの機体は真緒が修理中で、二人は出動できない。翠が守沢からもらった機体はここから離れた倉庫に入ったままだ。取りに行っていては間に合わない。敵軍の数は多く、他の部隊も次々に飛び立っては撃ち落とされていく。守沢は自分ひとりでの出動を断行した。

 街に爆弾が落とされていく。そこへ赤い機体が颯爽と現れ、自分が囮になり海上へ誘導していった。敵の砲撃を避けて、くるくる軽やかに空中を舞う。かつて曲技飛行部隊にいた守沢の真骨頂だ。

 守沢の飛行を眺めていたスバルが叫ぶ。

 「…タカミンは早く倉庫へ行って!ちーちゃん隊長、死ぬ気だ……!!」

 翠は倉庫へ走る。上空には戦闘機が飛び交い、上から後ろから前から右から左から爆音が鳴り止まない。いままでで一番ひどい戦いだ、被害も半端ではない。倉庫の鍵を開け、受け継いだ機体に乗り込む。プロペラがゆっくり回り出し、緑の視界に青空が広がった。

 瞬間。

 遠くで、赤い機体が、海に落ちた。

***

 はじめて乗る機体にも関わらず操縦桿は驚くほど自分の手に馴染んだ。頭は至極冷静で、海上に飛び出し射程圏内の敵の機体を片っ端から撃ち落していく。以前のように躊躇なんてしてる場合ではなかった。自分史上最高のパフォーマンスができてると思った。

 直後、機体ががくっと沈む。攻撃が尾翼に当たった。

「(あっ、やべぇ)」

 だがまだ完全に飛行が不可能になったわけではない。

「(まだやれる、まだ残ってる。敵が)」

 翠は破損具合を目視するため後ろを見た。

「(まだ…、)」

 海でなにか光った。赤い瓦礫。赤。あのひとの、赤い、

「高峯!!」

「! 衣更先輩、」

「ボーッとするな!撤退命令だ、逃げるぞ!!」

 間一髪で現実に引き戻される。

 守沢の機体が落ちたのを確認した真緒は、副隊長である自分がなんとかしなければと瞬時に判断し、翠の救援に回ったのだ。戻ったとき、スバルは狼狽しきっていた。

「サリ〜…ちーちゃん隊長が……!」

「…スバル、悪い……俺も整理できてないんだ…」

 青ざめた沈黙が重い。

「タカミンは…なにか見」

「うるさい、です…黙っててください、明星先輩」

「……そう、だね」

 驚くべきことに、その日を境に敵軍からの攻撃が弱まっていった。大規模な戦闘は大きな被害を生んだが、敵軍に与えたダメージも相当だった。

 守沢隊長の戦いが評価され、異例とも呼べるほど階級が上がった。守沢亡き守沢隊はすっかり口数が減り、なんとなく室温も下がった気がする。

 季節は秋へ移ろうとしていた。スバルの機体も翠の機体もすっかり修理が終わったが、出動要請そのものが減りつつあった。

 しかしまだ戦闘は続いている。訓練の休憩に、翠の足は自然と海へ向かっていた。

 粉々になった赤い機体はまだ見つかっていない。発見は絶望的だと言われた。

「(…なにかある)」

 波打ち際、砂浜でなにかがキラキラと光っていた。翠はほとんど無意識にそれを拾い上げる。貝殻やガラスの破片だろうと思ったが、どうやら違う。

「(これ、……あのひとの)」

 空っぽのペンダントロケットだった。

 ただの勘違いかもしれない。中身が入ってないんだ、似たようなペンダントなんてありふれてる。それにはっきり見たのは一度だけだ。それも倉庫の暗がりで。見覚えさえなければ、こんなのただのゴミに過ぎないのに。

「(見覚えが…ありすぎる……)」

 翠はそれをジャケットの端で拭き、自分の首にかけた。

「おう高峯、どこ行ってたんだ?」

「ちょっと浜辺に…散歩ッスよ」

「どうした、なんかいいことでもあったか?」

「別に。なんでもないッス」

「?そっか」

「あの、衣更先輩」

「なんだ?」

「……あのひとがつけてたペンダントロケットって、誰の形見だったかとか…わかりますか?」

「あーそれな。俺も詳しくは知らないんだけどよ。ほら、俺たちの部隊って急遽編成されただろ? たしか、お前が今乗ってる機体の、前のパイロットのだとかなんとか」

「……えっ、」

「隊長と同い年で、伝説の飛行士と呼ばれたとか…本庁に戻れば在籍記録見れるはずだけど」

「いや、いいです。十分です」

 あのとき倉庫で、懐かしい思い出を振りかえってたみたいなあの顔。

「(そういうことだったんだ)」

 知る限り空軍に女性のパイロットはいない。戦友、ということだろう。

「(ほんとに恋人じゃなかった…)」

「サリ〜、タカミン!久々の出動要請だよ〜!」

「おうっ、腕が鳴るな! 高峯、行くぞ!」

「…はい!」

***

 数年後。

 戦争の終結に伴い、守沢隊は解散となった。スバルは戦績を買われ本庁所属に、真緒は整備士に戻った。

 翠は今、曲技飛行部隊にいる。大きな機体を優雅に乗りこなし、カラフルな煙を吐きながら華麗に舞う。宙返りするたびに地上からは歓声が上がる。大人も子供も、楽しむために笑顔で空を見上げる。この部隊への配属を希望したのは、守沢隊長がかつて見ていた景色を見たかったからだ。

 そしてわかったことがある。街の上空での戦闘を避け、海上におびき出す戦法の理由。

「(全部って、そのままの意味だったんだ。空の下、地上にあるもの全部)」

 見下ろす視界は平和に満ち溢れていた。